全六百巻という『大般若経』を読む気になって、少しずつ読み進めています。
当たり前といえば当たり前ですが、あちこちに実に深いことが語られています。
一箇所、ご紹介したくなりました。
通達(つうだつ)とは謂ゆる能く遍(あま)ねく所有(あらゆ)る縁起を知るを言う。諸縁に由るが故に諸法起ることを得。故に縁起と名づく。
是の如き縁起は都(すべ)て所有(しょう)無し。是の如きを名づけて縁起に通達すと為す。即ち此れを名づけて遍ねく縁起を知ると為す。謂ゆる能く如実に起る無きを顕示し、起る無きを以ての故に説いて縁起と名づくるなり。
(大般若経第十六般若波羅蜜多分之一)
〔覚りに〕通達するというのはいわゆるあらゆる縁起を知ることができることを言う。さまざまな縁によってさまざまな存在は生起することができる。それゆえに縁起と呼ぶ。
こうした縁起にはすべて実体性はない。こういうのを縁起に通達すると呼ぶ。すなわちこれを縁起を知り尽くすと呼ぶのである。いわゆるありのまま実体として生起することがないことを明らかにし、生起することがないのを〔あえて〕縁起と呼ぶのである。
今夜は、「持続可能な緑と福祉の国・日本をつくる会」のミーティングで遅くに帰ってきたので、解説は明日にでも書き足すことにして、ご紹介だけしておきます。
……と書きましたが、昨日(26日)は片付けなければならないことがいろいろあって、書けませんでした。
「通達」というのは、覚るということです。
覚るというのは、あらゆるもの(諸法)が他との関係によって生起すること(縁起)を知ることです。
とはいっても、私たちが常識的な考え方(分別知)で聞くと、やはりまずそれぞれのものがそれ自体で存在していて、それらが関係して何かが起こる、という話だと誤解しがちです。
そこで、それぞれのものはもちろん、縁起そのものもそれ自体で存在するもの=実体ではない(つまり空である)と注意を促します。
ありのままの現実の世界は、現象としては関わり合いながら生起しているけれども、実体としては生起しないことを、「縁起」というのです。
「それにしても深い把握だなあ」と感嘆しながら読み直しました。
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確かに「縁起」と言っても、分別知的な理解では個々の存在の関係性において把握してしまいがちですね・・・。
それがいつしか、個の存在の実体視に陥ってしまう。
それほど分別知の実体化作用はかなり強力なんでしょう。
すべては縁(関係)によって生起する。
生起した存在に実体はない。
ということは、この現象世界、ひいては全宇宙は個々の存在に分断されているのではなく、「ひとつながりで一体」ということが分かります。
深く納得しました。