宇宙は一つの生きもので、一つの物質と一つの魂を備えたものである、ということに絶えず思いをひそめよ。
またいかにすべてが宇宙のただ一つの感性に帰するか、いかに宇宙がすべてをただ一つの衝動からおこなうか、いかにすべてがすべて生起することの共通の原因となるか、またいかにすべてのものが共に組み合わされ、織り合わされているか、こういうことをつねに心に思い浮かべよ。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第四章40)
これは古代ローマの哲人皇帝のことばですが、まるで現代の「生命宇宙論」のようであり、もっと古代のインド、ゴータマ・ブッダの語った「縁起の理法」1) 2) 3) のようでもあります。
ここでもアウレーリウスは、「絶えず思いをひそめよ」、「つねに心に思い浮かべよ」と自らに言い聞かせています。
禅の師である秋月龍先生が、しばしば「正念相続(しょうねんそうぞく、正しい気づきを持続すること)」ということをいわれていたことを思い出しました。
確かにそうしないと、私たちはすべて分別知で営まれている日常生活の膨大な情報の流れに埋没・沈没してしまいます 4) 5) 6)。
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膝関節症で坐禅がまともにできず、瞑想が不十分な今の状態の中で、こうした授業の内容を舐めるように読みこなすことで、すこしでも理解が深まることに感謝いたします。
学びを深めていただけているようで、大変うれしく思っています。
気づきはカルマですから、必ずアーラヤ識に熏習されていきます。
熏習が深まっていくと、知的理解だけでも限りなく覚りに近い境地に行けるようです(「理入(りにゅう)」といいます。
坐禅という「行入(ぎょうにゅう)」だけが道ではないようですから、ぜひ正聞と正思の熏習をお続け下さい。