職業選択と社会貢献について:本音のQ&A

2012年07月07日 | 持続可能な社会

 熱心な学生から、就職に関わって今の日本の状況について以下のような真剣な質問がありました。

 この質問は、かなりの部分が真面目な学生たちに共通する疑問を代表していると思いましたので、本人の了承を得て、答えとあわせて掲載することにしました(表記など若干訂正・変更しています)。

 参考になれば幸いです。

               *

今晩は

質問したいことがありまして、メール致しました。

長いのですが、宜しくお願い致します。

仕事に関することなのですが、自分の出来る範囲で調べてみました。

持続可能に直接関われそうな仕事

政治家
国連職員
金融-資産運用
マスコミ等の情報機関
教員
環境の仕事
ジャーナリスト

ここからが質問なのですが、

・政治、官僚、行政が、実際に、どのような構造になっているのかを知りたいです。

・マスコミ機関の裏の情報(本当の仕組み)を知りたいです

・金融機関と国の関わり(国の中での力)を知りたいです。

・レポーター・ビデオジャーナリスト・取材コーディネーターといった仕事では国は変わらないのでは?と思いました。
この仕事が役に立つのは、政界がまともに機能している時だけではないでしょうか?

・環境の職業についてですが、どの会社に入っても、どの資格をとっても、行政が変わらないことには国はかわらないのではないでしょうか?
この仕事も意味をなすのは、政界がまともな時のみではないでしょうか?
NPO、NGOでも国は変えられないと思いましたがどうでしょうか?

環境システムを動かしているのは、文部科学省等の行政でしょうか?

環境の会社も、資本主義経済の中にあるので、環境というビジネスにすぎない。
アミタホールディングスという会社は、それなりに好感がもてましたが、

・いくら、国を変えたくて、ある分野の専門家として、会社・業界のTOPに立ったところで、国は変わらないのですよね?

また、行政以外に、広い視野からの意見(環境哲学)のようなものを、シンクタンクのような所が、方針として提示しているのでしょうか?
専門家や企業のTOP(会社の方針)と、
国(国の方針)の繋がりがよくわかりません。


~現在の自分の考えは~

いかなる仕事に関わっても、政治がかわらなければ、人類は滅亡に向かう。

なので、
いかなる仕事に関わりながらも、政治を変える努力をする。

仕事としては、

政治、行政に関われたら最もよい
マスコミ・金融という面から貢献できれば、それもよい
教育者として関わるのもよい

1市民として、カウンセラーでも可

環境を含めた会社で働くとしても、志をもった会社で働く。
無ければ、自分で作る。

行政に関われないとしても、しっかり市民として関わる。
そして、1人ではできないので、仲間と共にやる。


今更ですが、
今の日本には、そのような
会社が少ないだけでなく

政治家も見当たらないのですね。

長くなってしまいましたが、
是非、アドバイスを宜しくお願い致します。

また、オススメの本がありましたら、宜しくお願いいたします。

               *

K君 今晩は。

今回のは、用事があったのと、そうとうな難問なのとで、返事が遅くなりました。

「~現在の自分の考えは~」のところ、基本的にそのとおりです。

1.まず日本の国政を持続可能な方向へ変え、変わった日本を足がかりにして、さらに国際政治全体の方向性を転換するほか、人類の滅亡を止める道はないと思います。

2.そして現状で持続可能性に貢献できる仕事も、おおまかに言えばK君があげたとおりだと思います。

3.そこで、個人としては、1.と2.を踏まえて、職業を選択するということになるでしょう。そしてもちろん個人ができることには限界がありますから、できるだけ多くの人と連帯してできるだけのことをするほかないということになります。

>政治、官僚、行政が、実際に、どのような構造になっているのかを知りたいです。

公式的には高校の政経の教科書などにあるとおりでしょう。

裏話的な実際は、私も十分には知りませんが、例えば原発に関わって、山崎淳一郎『原発と権力』ちくま新書、岩川隆『日本の地下人脈――戦後をつくった陰の男たち』祥伝社文庫などを読むと感じがつかめるのではないかと思います。山崎豊子『不毛地帯』という小説も日本の戦後政治と経済の癒着の構造がうかがい知れるようです(私はTVドラマしか見ていませんが)。

>マスコミ機関の裏の情報(本当の仕組み)を知りたいです。

これについては、機会があったらTさんに聞くと現場の情報が得られると思います。

いずれにせよ、大型メディアは、NHKは総務省、民放や新聞は企業の広告料という縛りがあって、本当の意味で国民に知らせるべき報道活動をできていない・していない、報道の自由など実際には存在しないというのが、日本の現状だと私は見ています。

>金融機関と国の関わり(国の中での力)を知りたいです。

これについては、私もよくわかりません。

>レポーター・ビデオジャーナリスト・取材コーディネーターといった仕事では国は変わらないのでは?と思いました。
> この仕事が役に立つのは、政界がまともに機能している時だけではないでしょうか?

先にも言ったとおり、現在の日本ではジャーナリズムそのものが機能していないと思います。ちゃんと機能すれば、世論形成という国を変える大きな力の一つにはなるはずなのですが。

>環境の職業についてですが、どの会社に入っても、どの資格をとっても、行政が変わらないことには国はかわらないのではないでしょうか?
> この仕事も意味をなすのは、政界がまともな時のみではないでしょうか?
> NPO、NGOでも国は変えられないと思いましたがどうでしょうか?

そのとおりです。まず政府の方向が決まり、それに企業の方向と市民の方向が一致した場合にのみ(スウェーデンのケースのように)、国民共同体としての「国」全体が変わると思います(日本人は、国民共同体としての「国」と政府という意味での「国」を混同しているのでいつも議論が混乱します)。

>環境システムを動かしているのは、文部科学省等の行政でしょうか?

日本の環境政策の建前(環境保護)は環境省が作り、それとまるで一致しない本音の政策(経済成長のためには環境を無視する)を経済産業省が立て、政府がそれを追認する、という構造になっているようです。

>環境の会社も、資本主義経済の中にあるので、環境というビジネスにすぎない。

そのとおりです。ただその中でも、比較的本気の会社とただ見せかけだけの会社の違いはあると思いますから、就職するならなるべく本気の会社を選んで、ということになりますね。

>いくら、国を変えたくて、ある分野の専門家として、会社・業界のTOPに立ったところで、国は変わらないのですよね?

民間の努力はある程度の影響を与えることはできるでしょうが、立法権、徴税権、予算策定権、警察権といった権力の中枢である政府という意味での国が変わらなければ国民共同体としての国・日本社会全体も本格的に変わることはできないでしょう。

>また、行政以外に、広い視野からの意見(環境哲学)のようなものを、シンクタンクのような所が、方針として提示しているのでしょうか?

環境学部を持った大学や環境関係のシンクタンクはいろいろあり、提案もしているようですが、環境省が経済産業省に影響を与えられないのと同じで、政府の方針に対して本格的影響は与えられないようです。

>専門家や企業のTOP(会社の方針)と、国(国の方針)の繋がりがよくわかりません。

私の見るかぎり、政治家のそうとう多数と大企業のトップの大多数は、本気で環境の心配はしていないと思われます。

資源の大量使用→大量生産→大量販売→大量消費→大量廃棄・環境汚染という近代的な生産様式の限界を自覚したくないので自覚しないという状態でしょう。
専門家は、言うだけ言って、大した影響を与えられないという状態に甘んじている人が大多数であるように見えます。

こう言うと、あまり希望がないように聞こえるでしょうね? はっきり言えば、そのとおりです。

私は、市民・国民の中の気づいた人でできる人が、はっきりと「エコロジカルに持続可能な国家」を目指す新党(典型的にはスウェーデン社会民主党のような)を結成し、その党がなるべく早く国民の大きな支持を得て政権交代し主権政党になって、政府・国の方向を根本的に変え、それによって国民共同体としての国・日本社会全体も変わる、というシナリオ以外には希望はないだろう、とかなり断定的に思っています。

以上、参考にして、考えてみてください。

では、また。


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9 コメント

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心情を基礎として (おかの)
2012-08-12 10:18:28
>kamioka くん

 返事が遅くなりました。

 今日でようやく採点が終わりそうです。

 オリンピックもあと2日、メダルはアテネと同数だそうですね。

 今、日本人は心情的にはかなり1つになっています。

 これを基礎として、さらに連帯のシステムを構想する必要がありますね。

 私たちもあきらめないで頑張りましょう。

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今こそ日本が連帯する時! (kamioka)
2012-08-10 06:34:34
岡野先生励ましのお言葉ありがとうございます。ナポレオン・ヒルの言葉もとても心に響きました。今以前先生から勧めて頂いた彼の『思考は現実化する』を読んでいるところです。

そうですね。今オリンピックを通して日本が一つになっているので、政治的にも連帯出来るいいチャンスだと思います。
仲間を集めるにはどうしたらいいか良く考え行動して行こうと思います。

それにしても、夢にむかって最後まであきらめないで一生懸命頑に張っている人達を見ていると、とても勇気と元気が湧いてきますね。
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連帯して対抗する (おかの)
2012-08-08 14:30:23
>kamiokaくん

 就活、ご苦労様です。

 ナポレオン・ヒルが「成功する人間は決してあきらめない。あきらめる人間は決して成功しない」と言っています。

 昔から権力者は「分割して統治する」ものです。

 それぞれができることをばらばらにやっていては、権力者の思うツボで、権力の勝手な行為を止めることはできません。

 本当に希望を実現したいのなら、国民は自分たちの望まない権力に対して「連帯して対抗する」のが義務だ、とフランス革命憲法には書いてあるようですよ。

 仲間を集める努力を続けてください。きみならできる!


 
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非常に参考になりました。 (kamioka)
2012-08-06 18:13:57
岡野先生こんばんは。
私も現在就活中なので今回の記事はとても参考になりました。
私も日本を持続可能な緑の福祉国家にしたいと願っているのですが、実現する為にはやはり今の政党ではなくて、新党が必要なのが良く分かりました。
道のりは困難ですが、「希望はあるのだ!」
と信じ、今自分の出来る事を良く考え実行して行こうと思います!
とりあえず政治、経済等の社会の仕組みを学びつつ、仲間を集めていけたらいいなとおもいます。
返信する
あるものはある (おかの)
2012-07-11 22:31:07
>HIROさん

 コスモス・セラピー的に言うと、どんなに少なくても、あるものはあるんでしたね。

 希望は少ない。しかし、ないわけではない。ある!

 国家は本質的に国民共同体です。民主主義国家において国民共同体を運営する権利と義務をもっているのが国民です。

 民主主義国家の国民でありながら、政治アレルギーと言っていては、国民の義務を遂行できず、かつ権利放棄になります。

 政治アレルギーを克服しましょう。そうすれが、希望はある!のですから。
返信する
改めて・・・ (HIRO)
2012-07-08 06:40:51
今回の記事を読んで、改めて希望がない・希望が少ない状態であると認識しました。

それにしても熱心な学生さんですね。
先輩風を吹かすわけではありませんが、自分が学生の時は、もっと能天気にアルバイトをして、食べていくためには仕事をしなきゃ、と就職活動にいそしんだような気がします(卒論は「労働」をテーマにしっかり考えましたが)。


それから、改めて、「日本人は、国民共同体としての「国」と政府という意味での「国」を混同しているのでいつも議論が混乱します」という部分に合点しました。

政府と市民の信頼関係や双方向性・国民共同体としての感覚がないため、まさに「ばらばら」に感じてしまうのでしょうか。

職業選択について、「これがやりたい」と断言できる人は、確かに少ないような気がします。
でも、「政治家だけはやりたくない」と断言している人には、何度かも会ったことがあります。

統計的に、このような時代だからこそ、政治家志望者が増えるのか、それとも志望者が減るのか、気になります。

政治アレルギーは根深いけれど、それを越えなくては、希望がない・希望が少ない・・・いや、校庭表現(と変換されました)~肯定表現に言い換えて、政治アレルギーを越えれば、希望があるというべきですね。

政治への関心は、どんどん高まっているはず。その力が連帯・共同を生むことを願います。
返信する
困難は不可能ではない (おかの)
2012-07-07 17:41:10
>nogaさん

 お父様が玉砕されたのですね? 心からお悼み申し上げます。
 それで、なぜnogaさんが繰り返し日本人はダメだという趣旨のことをお書きになるのか、お気持ちがわかったような気がします。

 私も現状の現象を見ていると「この道は、いつか来た道」だと感じます。

 しかし、ポイントは、あきらめ絶望したり、傍観者的批評をすることではなく、では、自分はどうするのかということだと思います。

 どうするのかということについて、nogaさんは発言しておられるのでしょうか?」

 私は、これまでの傾向としては確かに「日本人には意思がなく、解決法が見つけられない」と思いますし、それに日本語に時制がないことが影響はしてるかもしれないと思いますが、それはあくまでもこれまでの傾向であって、今後も全員がそうであるということではないと思います。
 個人も国民も変わりうる存在です。明確な意思を持ち、解決法の提案をしている人間も、ここにおりますよ。

ぜひ、自説をお説きになるだけでなく、他者の提案も理解して――理解は同意ではありません――生産的批判をしてただけると幸いです。



 
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mistakes (noga)
2012-07-07 10:55:19


日本語には、時制がない。だから、日本語は、現実を表すための言語である。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語であるといえる。

理想は、非現実の内容である。
現実を表す言語を使って非現実の内容を示すことは難しい。
現実構文の中の非現実の内容は、すなわち真っ赤なウソになる。
だから、日本人は、非現実を述べることもなければ、考えることもしない。
すなわち、無哲学・能天気の状態になっているのである。

日本語を使って非現実を伝えようとすると、悪意はなくとも、すくなくとも絵空事にはなる。これは、漫画の世界である。
理想にはならずして、空想になる。だから、日本人は、なかなか真面目な態度にはなれない。
理想は常に想定外になる。

金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
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this way (noga)
2012-07-07 10:54:25
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
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