つながりの気づきと肯定的変化

2012年08月18日 | 心の教育

 コスモス・セラピーの方法の基礎は、自分と他のすべてのもののつながりという事実への気づきを促すことにあります(そういう方法論の点で、唯識、アドラー心理学、論理療法、認知療法などと根本的に共通するものがあります)。

 しかし、たとえつながりは事実であっても、残念ながらそれへの気づきはいつでも起こるとはかぎりません。 

 促される側の準備状態(レディネス、readiness ) が熟している必要があります。

 準備状態がない場合は、聞いたとしても、「ふーん…だからどうした」といった無視や反発といった反応が起こったりします。

 多人数を対象とした授業としてのコスモロジー教育の場合、受講生たちの準備状態はさまざまですから、当然ながら反応もさまざまです。

 そういう意味でもコスモロジー教育=コスモス・セラピーは、万人にいつでも有効ではなく、万能ではありません。

 しかし、準備状態が熟している対象には、ある種、劇的といってもいい気づきと変化をもたらすことがあります。

 下の女子学生は、授業内容のまとめは一切なしで、自分の気づきと変化を報告してくれました。

 まさにレポートではありますが、授業の評価としてはどうしたものかとやや困りました。しばし考えて、ともかく授業で伝えたかったことは受け取ってくれたのだから、と合格にしました。

 彼女の心の深いところで、「このままでは自分はダメだ。大人になれない。変わりたい、変わらなければ」という変化への準備状態が熟していたところへ、ちょうどタイミングよくメッセージが届いたのだと思われます。

 あえて、ここまで自分をさらけ出して報告してくれた彼女に心から感謝しています。

 きっと、他の「変わりたい、変わらなければ」と思っている人への非常にいいヒントになるでしょう。

 

 この数ヶ月で、私は少し変わったと思います。授業を受けている中で、「自分の存在価値」を考えさせられたためかと思われます。

 私の中で、最も印象に残っている言葉は、「物事に、つながっていない部分はない」という言葉です。一字一句違えずに覚えているわけではありません。しかし、先生の話の内容は、とても強く私の心中に響きました。

 先生は、カエルの話をして下さいました。今まで、一度も自分とカエルがつながっているだなんて考えたことが無かっただけに、「空気を共有している」というものの見方には驚かせられました。

 その話をお聞きしてから、私は何度も考えました。帰りの電車の中を見回し、周囲の人の顔を見ながら…あるいは、アルバイト中に会うお客さんの顔を見ながら…「今、私はここにいるすべての人たちと同じ空気で呼吸をしている。全ての人たちとつながっている。」

 そう考えると、なぜだかとても満たされた気持ちになりました。とても、不思議に思いました。今まで自分とは関係のない、他人と思っていた人にまで、なぜだか愛情にも近い感情が湧いてきたのです。

 きっかけは、その授業だったのだと思います。それから私は、今までよりほんの少しかもしれませんが、生きていることに感謝できるようになったと思います。

 恥じるべきことだと思いますが、私は以前、自分が大嫌いで、自傷行為を繰り返していた時期がありました。そんな大げさなものではありませんが、今も傷跡が残っている部分もあります。それは見て、こんなにも悔いたのは初めてでした。

 自分には親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて…何人もの人間の関わりの元に、私の命があるということを、当然のように考えていたのが、恥ずかしくなりました。

 どこか1人でもかけていたら、私は生まれていなかったのだと考えると、今、私がここに生きているのが奇跡のように思えてきました。親への感謝の気持ちも、持つことができるようになったと思います。

 数ヶ月前までの私は、週に何度も外泊をし、親に迷惑をかけていました。その上、「遊びすぎだ」と助言をしてくれる親に対し、「面倒」という感情さえ抱いていたのです。とても悔いています。

 今までは私と親との間には、距離が無さすぎて(悪い意味で)お互いの全体を見通すことが出来ていなかったように思います。

 授業という、家庭とは少し違った場で、このような話を聞いたのも、良かったと思います。先生という、いわゆる自分とあまり関わりがなかった人に話をして頂けたおかげで、落ちついて、素直に話を聞くことができたのだと思います。

 今は、親と私の間に、ちょうど良い距離があります。それは、先生のお話してくれたことから得た、考え方のクッションのようなものだと思います。そのクッションのおかげで、今は親の意見、考え方、私を心配してくれている気持ち等々、広い視野を持つことができました。今までは近すぎて見えていなかったものが、見えるようになりました。これは、私にとって大きな変化です。

 今は、外泊は月に一度程度になりました。親に許可を取っての外泊です。親からの助言も、(たまには頭に来ることも、もちろんありますが)素直に受け入れる努力をできるようにはなりました。また、その助言に対して感謝することもできるようになりました。

 私は今年、20歳になります。あと10年程の間に、おそらく仕事に就き、結婚もし、もしかしたら子どもを生むかもしれません。そうなったとき、私は何ができるのでしょうか。私は、社会に貢献のできる大人になれるのでしょうか。

 数ヶ月前の自分では、無理であったと思います。生きていることに感謝をできない人間が、新たな生命を育てたり、他人との関わりが大切な社会での仕事をこなしていくことができるだなんて思えません。本当に、今までの私はひどいものだったように思います。

 社会に出る前の段階で、この授業受講することができ、本当に良かったと思います。

 「自分は自分。他人とは関係ない。だから、何をしても良い。私に存在価値などない。」という考えも、だいぶ薄れました。

今は、私自身がこの時間を生きていることに感謝をし、また私も、後世に残る生命を生みたいと考えています。むしろ私の存在価値と、後世を残すことなのでは、とも思います。

 誰とも、何とも、つながらずに一人で生きていくことなどできないということを、授業で学びました。数時間前に食べたおにぎりだけでも、お米とつながり、お米を作っている人とつながり、サケとつながり、サケが育った川や海とつながり…と、最終的には宇宙へとつながっていくのだと思うと、その壮大さに驚きます。

 これからの生活の中でも、生命のつながりや、自分が存在していることのありがたさなど、考えていこうと思います。

 そして、そのすべての事象に感謝の気持ちを抱き続けていきたいです。



 あまりにも近すぎる関係の親に言われても聞けないことも、やや距離のある教師やセラピストから言われると聞きやすいということがあります。

 そういう意味で、「しつけは親の責任だ」「倫理感を育てる責任は家庭にある」といった言い方で、責任逃れをすることなく、教師やセラピストが生きていることの意味感や倫理感も含めて「子どもを育む」「子どもを癒す」という社会的役割・責任を果たすことが強く望まれていると思います。


 

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