
『平家物語』の冒頭に、「奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついには滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ」という言葉があります。
昨今の政界や財界の状況を見ていると、中世から現代まで、人間は全体としては依然として賢くなっていないのだなという気がします。
「力ずく無理やりに、ごり押しをしたり、隠れてこそこそとうまくやれば、物事は自分の思いどおりにできる・なる」と思い込んで、それを実行し、それが成り立っているように思っている、人からもそう見えるという人がかなりたくさんいるようです。
確かに短期間だけでいえば、うまくやれば思いどおりにできるように見えることがたくさんあります。
しかし中長期を考えると、残念ながら人生はいちばん根本のところで自分の思いどおりにはならないようにできているようです。
何よりもそもそも思いどおりするためには、当の思う「自分」が生きていなければなりませんが、自分という存在そのものが、どんなにいつまでも生きていたいと思っても、生きていることはできない、つまり思いどおりにならないようにできています。
所有する本人が永遠には存在しないのですから、金銭も名誉も権力も永遠に所有することはできません。つまり、思いどおりにできないのです。
快楽を感じる本人がやがて消えていくのですから、永遠に続く快楽もありえません。
いつも、いつまでも、楽しくしていたいと思っても、思いどおりにはいかないのです。
「空」に関する定型句に、「苦だから空である」=「〔最終的な意味で〕自分の思いどおりにできるものは何もない」というのがあります。
これは、最終的な意味で自分の思いどおりにできるものは「何もない」ので、自分の思いにこだわってるかぎり、世界は不条理に思える、というふうな意味でしょう。
自分の思い=念にこだわっているかぎり、この世はどうにもこうにも「残念(=思いが残る)」、「無念(=思いどおりで無い)」なことばかりというところのようです。
変わることのない実体としてつかんだり、握りしめたり、持ち続けたりできるものは、この世には存在しないのですから、そういうことはいったん「断念(=思い切る)」するしかない……したほうがいいのです。
自分の勝手な思いをいったん断念して、世界のありのままの姿・如に自分の思いを合わせるようにすると、思いがけない爽やかな思いと生き方が可能になる、というのが仏教の基本的メッセージだといっていいでしょう。
私たちが、もう少し賢くなって、人生や世の中を自分の思いに合わせよう・思いどおりにしようとせず、世界のありのままの姿に自分の思いを合わせようとすれば、かえって人生や世の中はもう少しよくなる、と思うのですが……なかなか。
繰り返すと、「縁起」、「無自性」、「無常」、「無我」、そして「苦」という言葉に共通している「何もない」というニュアンスを一言でまとめ、かつ深めたのが、「空」というコンセプトだ、と私は捉えています。
そして、「空」は「如」「真如」「法」という言葉で表現されたのと同じ、世界のありのまま・真実の姿を表現するための言葉の一つだと考えています。
*写真は「銀河団C10939」、宇宙には無数の銀河があるのですね。

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繰り返し繰り返し言われて、
やっと頭にすんなり入りました。
「くどいな~もう!」などと正直思っていたのですが、今日の投稿を読んで、そして、さらにちょっと前ののもの読み返してみて、なるほど!と思うようになりました。実に面白かったです。
「縁起」「無自性」「無常」「無我」「苦」という言葉の何もないというニュアンスをまとめたのが「空」である。
頭に叩き込んでおきたいです~。
勝ち組・負け組という言葉に時代の空気が端的に表れていますね。
国民の多くも、勝ち組と呼ばれる人たちを応援することによって、あたかも自分たちが勝ち組の仲間入りをしたような疑似的気分を味わう。
正直者は損を見る。
自分が得するためなら、バレなきゃ何してもいいんだっていうエゴイズムの歪みがいま日本社会で膿のように噴出してるんですね。
短期的な欲望ばかりを追い求めている。
そういう生き方は必ずしっぺ返しが来るんですね(特に死ぬとき)。
「空」に少しでも自分の生き方を合わせられるよう、がんばっていきたいです。
「空」とか「無我」とかというとものすごく深淵で難しい厖大な哲学的説明が必要でしかも全部読んでも一生わからないことなのかと思ったら、そんなにシンプルなんですか?
もちろんそういう境地に至るためにはすごいたいへんなんでしょうけど、言葉でいえばそんなにすっきりとわかることなんですね。ちょっと覚った気になっちゃいました。
不肖わたくしも、もブッチくんと同じく、毎回同じようでちょっとくどいとか思ってましたが…でもすごい大切なことですよね。
う~、ほんとに忘れがちだけど、アタマにたたき込んでおきたいと、自分も。
勝ち組、ほんとに短期で無常ですね…
さて、初めてのコメントに書きましたように、私の夫はアルコール依存症です。毎日いがみ合って暮らしておりました。しかしこの半年、ブログなどで教えていただいたことを実践し、私がアルコールに対するこだわりを少しずつ手放していくうちに夫と仲良くなりました。「こだわり」はなかなか手放せないけど、いったん放すとこんなに楽になるんだなって実感しました。もっと楽になりたいので、これからのご講義、とても楽しみにしています。
「ありのままの世界に、自分の想いを合わせていく」
改めて「そうなんだ!」と気付かされた瞬間、手を合わせるような気持ちになることがあります。それが清々しくて何度も読むのかな。
コメント投稿って、なーんか緊張しちゃいますね。なんにしても、講義はずっと受け続けてます。今までも、これからも。
>ブッチさん、しんすけさん
頭に入った、わかりやすい、といってもらえてうれしいです。
わかったら、次はさとれるといいですね。
>りょうさん
「善因善果、悪因悪果」というのは、短期では成り立たないように見えますが、中長期で見ると、やっぱりそう成るようですね。
>chaiさん
先日はお目にかかれて幸いでした。これからもご一緒に学んでいきましょう。
きっと、もっと楽になると思います。
ご主人もきっとアルコールから解放されて楽になれるでしょう。
>ようさん
受講を続けてくださって、有難うございます。とてもうれしいです。
これからも、気軽にコメントしてください。大学の授業ではないので、採点はありません。