アメリカのポジティヴ・シンキングの元祖のような人の一人にノーマン・ヴィンセント・ピールという人がいます。
この人は牧師で、アメリカのプロテスタント精神をベースにした、ほんもののポジティヴ・シンキングのメッセージを語っている人です。
残念ながら絶版になっている『積極的思考の驚くべき結果』の頁をめくっていて、次のような言葉を見つけました(ただし、私の語感で訳しなおしました)。
「私が敗北することなんてありえない! とでもいうふうに行動しよう。神が見守ってくださるのだから。」
キリスト教の「神」という言葉がぴんと来ない人は、ここに「大自然」とか「コスモス」という言葉を入れ替えて読んでみるといいと思います。
「私が敗北することなんてありえない! とでもいうふうに行動しよう。コスモスはいつも私の味方なんだから」と。
「ジュピター」の言葉でいけば、「Everyday I listen to my heart, ひとりじゃない」ということですね。
*上記の本が絶版なので代わりに次の本を紹介します。
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なかば脅迫的にポジティヴに物事を捉えねばと努力する人も見かけますが・・・
それではいつまでたっても安心ができないような
ポジティブということは、前向きで、プラスであって、でもそれは後ろ向きの反対でであって、マイナスの反対であって
それは、後ろ向きへの恐怖、マイナスへの恐怖から遁走に見えるときもあり
それでは緊張のとけるときのないような気もしますが
ポジティヴ・シンキングは、物事を観るのに一つの視点だけからではなくいろいろな解釈ができる可能性をしめすきっかけにはなりますが
また、ネガティブシンキングからの脱出の方向性のひとつの指標にはなりますが
そのあとがないような
それ以外がないような
ポジティヴ・シンキングにも、ほんものとそうでないのがあると私は考えています。
ピールのようなほんものには、ほんもののスピリチュアリティの裏づけがあると思います。
そういう裏づけのないものは、おっしゃるとおり、「そのあとがないような/それ以外がないような」という感じになりますね。
日本では残念ながら、スピリチュアリティの裏づけのない、またはあやしいポジティヴ・シンキングが多いような気がします。
それはあやしいスピリチュアリティが多いのと並行した現象でしょう。
というと、何がほんもののスピリチュアリティかという問題が起こりますが、それについてはブログ記事全体や拙著『トランスパーソナル心理学』などをお読みいただけると幸いです。
背景となるもの 委ねられるような安心の源があるかいなか
ということがほんもののポジティブシンキングの鍵なのかしらん
スピリッツ【spirits】はお酒の意でしたね(笑)
あやしいスピリチュアリティってなんだろう・・・
spirit 霊 ~~~~~(m--)m の方かな(笑)
トランスパーソナルの本も読んでみようと思います
御教授いただきまして ありがとうございました<(_ _)>
続けてのコメント有難うございます。
おっしゃるとおり、「委ねられるような安心の源があるかいなかということが…鍵」だと私は考えています。
「あやしいスピリチュアリティ」には、お金の請求、リーダーとグループへの絶対服従の要求、理性を踏まえて理性を超えるのではなく、理性を無視する、その結果、本人の社会的適応に問題が起こり、まわりにも迷惑をかける、などの特徴があると思います。
私は、真のスピリチュアリティは社会的適応を含んで超えるものだと考えています。
参考にしていただけると幸いです。
あやしいスピリチュアリティ
まるでどこぞの宗教団体のような・・・
あたかも条件づきスピリチュアリティですね(笑)
目的と手段の乖離
というより目的そのものが違うようで(#+_+)
理性を超える と 理性を無視する の違い
が本物と偽物の違いのようですね
超える と 無視
言いかえれば
トランス と アンチ となるのでしょうか
アンチは破壊的であれ創造的ではないですね
続けてのコメントありがとうございます。
理性と霊性は「含んで超える」という関係になるのが正しいと思います。
残念ながら、アンチ理性の宗教が多いように思えますね。
私は、著作でもこのブログでも、理性を含んで超える霊性の確立を目指して提言を続けています。
よろしければ、続けて参考としてお読みください。