
すでにおわかりのとおり、この授業では、特定宗教としての「仏教」だけの話をしているわけではありません。
いわゆる「仏教」は呪術性や神話性の面も相当に大きいのですが、理性・哲学性の面を見ると、仏教のエッセンスには「つながりコスモロジー」として現代科学とみごとに調和する非常に普遍妥当性がある、という話をしているのです。
現代科学の全体像と仏教のエッセンスを合わせて見ていくと、深い「いのちの意味」が見えてくると思います。
そして、現代科学と仏教から学べるつながり・重なりコスモロジーは、近代の分別知的な理性、つまりばらばらコスモロジーの限界を超えるものではないか、という私の判断をみなさんにお伝えしているわけです。
そういう流れ・コンテクストで、この「五位」説、特に資糧位というコンセプトを考えていて、ふと面白いことに気づきました。
それは、資糧位は覚りを求める存在=ボーディサットヴァ=菩薩の最初の段階であり、まだ縁起、空、一如ということを頭で理解している段階です。
しかしそれはもう、分別知がもっとも発達した、主客分離、分析的な方法による近代の理性=ばらばらコスモロジーを超えるものの見方を身につけつつあるということです。
まだ理論的な理解という意味では、理性の段階を超え切っていませんが、単なる理性の段階は過ぎています。
すべてのことを縁起・関連性、空・非実体性、一如・一体性という方向から見ることができるようになりつつあるのです。
そこで、最近ふと気づいたのですが、資糧位というのは、人間の心理的発達段階でいうと、K・ウィルバーのいう「ヴィジョン・ロジック(展望論理)」の段階だということもできるでしょう。
例えば、自分と他者はつながっていて一つなのだから、条件さえ調えれば自分と他者の利益は矛盾・対立するものではないということを、大きな展望の中で見通すことができます。
そして、すべては空・非実体だから、絶対に変わらない・変えられないようなものはないことを知っていますから、間違っており硬直していて一見変えられそうにないものでも、根気よく理にかなったかたちに変えようとします。
そのためにはどうしたらいいか、総合的な視点から筋道立てて・論理的に考えぬくこともできます。
そう考えると、ばらばら・別々に考えると矛盾・対立していてどうしようもないように見える事ばかりの時代にあって、より高く広い視点から見渡してそれを解決できる道筋を見出せるのは、ヴィジョン・ロジックをこなせる資糧位の菩薩だということもできそうです。
最近スウェーデン・ショック状態だといいましたが、ようやく最初のショック状態から少し鎮静してきていて、ふと、スウェーデンのすぐれた指導者たちは近代的理性を含んで超えながらヴィジョン・ロジックの段階に達した人々、つまり唯識用語を当てはめればいわば資糧位の菩薩だということができるのではないか、という気がしてきました。
それにつれて思い出したのは、惜しくも飛行機事故で亡くなった、スウェーデン出身の第二代の国連事務総長ダグ・ハマーショルドさんは、忙しい仕事の合間をみてはしばしば瞑想をしていた、というエピソードです。
彼は、加行位の菩薩だったのでしょうか、あるいは通達位くらいまで行っていたかもしれません。
さらに、そこで希望が湧いてきたのは、リーダーたちが、必ずしも修習位や究竟位の菩薩まで行けなくても、資糧位から通達位くらいまでの菩薩になれたら、環境と福祉と経済のみごとなバランスのとれたすばらしい国・緑の福祉国家を創出することができるのではないか、ということです。
人類すべてが究竟位の覚りに到らなくても、世界の主要国の主要なリーダーたちがヴィジョン・ロジック段階くらいまで発達してくれればいい、資糧位くらいの菩薩になってくれればいい、あるいはそういう人間がリーダーになればいいわけです。
そうとうに困難だが、そのくらいまでなら現段階の人類でもなんとか実現可能ではないか、という気がしてきました。
秋のシンポジウムには、ぜひ仏の国土を浄化したいという誓願を抱いた諸菩薩*に集まってほしいものです。
聴講生のみなさんも、ぜひそういう菩薩の一人になって下さい。
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これはとても励みになる言葉です。
少しでもつながりコスモロジーの輪が広がって欲しいですね。
スウェーデン人は、自然を深く愛し、大事にする国民のようですね。
大自然とつねに触れ合うことで、つながりコスモロジー的な考えが、自然と身に付きやすいのかもしれませんね。