なぜ、中枢で仕事をしないのか?:Q&A2012-2

2012年08月31日 | 持続可能な社会

 H大学社会学部1年男子

 私は今回、このレポートを書きながら、2章、3章のところどころで出てくる「ワーク」を実際に考えながらやっていました。

 特に印象に残ったものは「みんなを親戚だと思って見るワーク」です。

 そうやって普段は関わりのない人でも親戚だと思って見ていると、何か不思議な感覚におそわれました。

 その人の行動が他人事でないように思われ、大きなつながりを感じました。

 それが宇宙の大きさで人間を考える、コスモロジーなのでしょうか。

 また先生がなぜ、政界や、もっと日本の中枢でお仕事をなさらないのか、勝手ながらですが考えてしまいました。

 岡野先生の世界観が世の人々に広まると、少しでも貧困や戦争をなくすことができるのではないのでしょうか?

 良ければ解答を聞きしたいです。



 現代科学の5つの主要な学説をシステマティックに理解すると、宇宙のすべては一体、すべての生命は親戚、人類はもちろん1つの家族だという、近代主義的な常識からするとまったく驚くべきコスモロジーが導き出されることは、繰り返しお話ししてきたとおりです。

 そのコスモロジーを頭で理解するだけではなく、ハートで実感できるようになるための技法を「ワーク」と呼んでいます。

 H大学では最近、学生数が多すぎて、ほとんどワークをすることはできませんが――ここまで多くなかった初期には300人くらいを引き連れて野外ワークをしたこともあったのですが――上記の学生は、テキストに書いてあるワークを自分でやってみて、これまで他人だと思っていた直接関わりのない人にも大きなつながりを感じたわけです。

 そこから、「岡野先生の世界観が世の人々に広まると、少しでも貧困や戦争をなくすことができるのではないのでしょうか?」と思ってくれたわけですが、少しだけ違うと思うのは、これは「岡野先生の世界観」という私個人の世界観ではないというポイントをつかんでもらってないな、ということです。

 アインシュタインを代表として、こうしたつながりコスモロジーに到達した現代の一流の科学者は少なくないと思われます。

 そして確かに、こういう世界観が世界の人々、特にリーダーたちに広まると、貧困や戦争の問題はほとんどなくすことができるだろう、とシミュレーションできます。

 「また先生がなぜ、政界や、もっと日本の中枢でお仕事をなさらないのか、勝手ながらですが考えてしまいました」という質問ですが、これも、そう言ってくれる気持はうれしいのですが、民主主義の基本が十分理解されてないところからくるものだと思います。

 現状の日本の中枢は近代主義のばらばらコスモロジーのパラダイムで仕事をしているので、私を起用-参加させる可能性はほとんどないでしょう。

 中枢を担う人のパラダイムがつながりコスモロジーに大転換する必要があるのです。

 そして、何を主要なコスモロジーとし、誰を日本の中枢で仕事させるかを決めるのは、総体としての日本国民です。

 それが、「民主主義」社会というものです。

 私は長年、少なくとも日本の思想的なオピニオン・リーダーに選ばれるべく、発言を続けてきたのですが、残念ながら、国民・市民・読者のみなさんから、日本文化の中枢に押し上げていただくほどの圧倒的な支持を得ることができていません。実に残念です。

 みなさんの手で、言論界の中枢に押し上げてほしい、と今でも私は本気で願っているのですが(それが今回の自主キャンペーンの究極目標でもあります)。

 そして、その言論に影響を受けて、それを自分のものにした、政治家になる資質のある若い世代に、日本の中枢で仕事をしてほしいと願っています。

 これまた残念ながら、私には政治家になる資質(強靭な体力と特に厖大な人間関係・コネを作る能力)が欠けているようです。

 H大学社会学部で教えてきて今年で12年になりますが、その間、「先生、がんばってください」「応援しています」という声はかなりもらったのですが、「先生、一緒にやらせてください」とか「先生、私がやります」という声が少なかったのも、民主主義が成熟していないからだな、と思ってきました。

 私ががんばるのではなく、みんなでがんばるのでなければ、民主主義にはなりません。

 その「みんな」の一人に私もなるというのを、「参加」「連帯」といいます。

 民主主義は、ただ制度であるだけでなく、民衆の「参加」「連帯」によって実効性のあるものになるのです。

 参加と連帯のない民主主義は、ほとんど役に立たない抜け殻にすぎません。

 そして今の日本の民主主義は、かなり抜け殻になっているのではないでしょうか(それでもないよりははるかにましではありますが)。

 それでも今年度は、例年よりも「伝えたい」「伝えるべきだ」「私たちがやるべきだ」という声が多いので、若干期待をしているところです。

 上記の学生にも、後期後半の「十七条憲法」と緑の福祉国家の話のところまで聞いて、「私がやります!」という気持になってほしい、そしてそういう学生たちの「私たちがやります!」という声を聞きたいなと願っています。

 きみたち自身の未来のために、連帯して行動せよ! 民主主義国家日本の若者たち!


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