人間は、本来そなわった能力つまり本能で生きることができなくなった動物で、言葉(ロゴス)によって描き出された世界の秩序つまりコスモロジーなしには生きられません。
それは単に個人の問題ではなく、人間社会・共同体こそコスモロジーなしには成り立ちません。
そして、戦後日本のように近代的なばらばらコスモロジーをベースに形成された社会がやがて必ず現代のようなばらばらの無縁社会になるのは当然の成り行きであり、つながりコスモロジーを再構築(脱構築の反対)することなしに、どんな対症療法的対処をしたところで、問題が解決しないことは火を見るよりも明らかだ、と私は考えていますが、そのことを授業で伝えると、次のようにしっかり理解してくれる学生たちがたくさん出てきます。
こういうことをしっかりと理解してくれる若者が育っていくことは、大きな希望です。
H大学社会学部1年女子
私は今回「唯識」について授業で学ぶことで、前期の疑問が解けた。前期で「つながりコスモロジー」であることを学んで、理解はしたけれども納得いかないように感じていたのは、私の心にあるマナ識やアーラヤ識の働きなのだと気づくことができたのだ。
このことに気づいたことから、私は覚りへの道のスタートラインに立つことができ、自分自身を成長させていくための心を養っていくことができると思う。
人々が皆、「唯識」の考えを持ち、マナ識やアーラヤ識を転換させようと取り組むことができれば、人々は「皆は一体であり、対立する必要はない」と感じることができ、今なお続く争いの連鎖は止めることができると思う。また、「一体である」という考えを持つことから、「孤独」という悲しみや苦しみはなくなり、人々がつながりあって生きていくことができると思う。
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