言葉を超えて

2006年01月05日 | メンタル・ヘルス

 リクエストがありましたので、『信心銘』の続きです。


 多言多慮、      (たごんたりょ)

 転た相応せず。    (うたたそうおうせず)

 絶言絶慮、      (ぜつごんぜつりょ)

 処として通ぜざるなし。 (ところとしてつうぜざるなし)

  意 訳

 ぺらぺらしゃべり、あれこれ考えてると

 どんどんピント外れになってしまうぞ。

 だまって、よぶんなことを考えないで、

 〔まっすぐ進めば〕どこにだって通用するんだ。


 これは、浅く読んでしまうと、「言葉じゃないよ、行動だよ」という話のようです。

 また、「不立文字(ふりゅうもんじ)」、言葉でいうことはできない、というのは禅のキャッチ・フレーズです。

 しかし、仏教の流れ全体でいえば、膨大な経典の言葉や詳細厳密な論書の言葉が積み重ねられた上で、最後の最後のところは「言葉を超えている」という話になるのであって、最初から言葉を軽視したり無視したりしたのではありません。

 学ぶべき言葉はしっかりたっぷり学んだ上で、言葉を超えたものをつかんだら、もう人生のどんなところでちゃんと生きていける、という話なのです。

 そう読むと、これは一見とても平易ですが、実はとても深い話です。

 言葉の世界から言葉を超えた世界へ、そして言葉を超えた世界からもう一度言葉の世界へ、という自由自在な往復ができる、しなやかな心を得たいものです。

 今年も、ご一緒に学びを深めて行きましょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ

人気blogランキングへ

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 直し初め | トップ | 部派仏教 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感想 (ウスイツカサ)
2006-01-05 22:06:17
今日のお話は中庸も同じですね。極を極めたから中庸がわかるのですね。言葉を極めたから言葉がこえられ、超えたところからの言葉が本当の言葉ですね。



ウスイツカサ
返信する

コメントを投稿

メンタル・ヘルス」カテゴリの最新記事