今日のことば 22: パウロの体験した苦難の数々

2008年09月10日 | メンタル・ヘルス

 原稿に追われ、その他いろいろな予期していなかった出来事が起こってきていて、なかなかブログの更新ができませんので、前回に関連した聖書の記事をご紹介しておくことにしました。


 繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。
 いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。……
 もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。

 彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル入なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼以上にそうである。

 苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石でうたれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。

 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
 だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
 永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。

                    (新約聖書「コリント人への第二の手紙」第11章16-31、聖書協会訳)


 使徒パウロは、あえて自分がどのくらいの苦労をしてきたのか、コリントの信者たちに神に誓って事実こうなのだと伝えています。

 このくらいの苦労をしてきた上で、前回のような言葉を語っていることを知ると、いっそうその重さがわかっていただけるのではないでしょうか。

 並みたいていの苦労ではありません。患難とか苦難という言葉で表現するほかないでしょう。

 しかしここでパウロは、自分はそれに耐えてきたと、単なる強がりをいっているのではありません。

 むしろ、自分は弱い、けれどもその自分の弱さの中にこそ神の強さが現われるのだ、といっているのです。

 手紙の最後のほうで、パウロはこうもいっています。


 私たちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理に従えば力がある。


 自力の強さの限界・弱さを知って、大いなるものの力に従い頼った時、人はほんとうに強くなれるというのです。



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8 コメント

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気づき (おかの)
2008-09-17 19:00:21
>陽さん

 すばらしい気づきをしていただいているようで、喜んでいます。

 エゴイズムは超えられる、ようです。私も超えるプロセスの途中ですが。

 超えれば、死の恐れも超えられる、という心の仕組みになっているようなので、しっかり超えたいと願っています。

 十分に仲良く楽しく生きてから、楽に死ねるようになりたいものです。

 がんばって、修行を続けましょう!
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十分な恵みが与えられている ()
2008-09-14 21:11:13
「自分(なんてものがあると思い込み)…」そうでした!

先生と出会い、まだまだこれからなのですが、いまのところニヒリズムはだいぶ消えました。エゴイズムも超えるものなのですから(肯定していました)、なんとかなりそうです。

「なかよく楽しく生きて…」というのは、おかげさまでまがりなりにも実感している日々です。

「生きて死ぬのに十分な力は与えられている…」そうですね!

「…楽に死ぬ」ほうも、どうやら近づいていけるような気がしてきました。

ありがとうございました。
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誤入力あり、要注意 (おかの)
2008-09-13 22:06:44
>みなさん

 入力して、よく読まないで投稿したら、いくつも誤入力がありました。

 判断―推測してお読みください。よろしく。
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生きて死ぬのに十分な力を (おかの)
2008-09-13 22:03:08
>74式さん

 自分(なんてものがあると思い込み)の力で何とかしようとしているかぎり、自分より強い者には敗北するしかありません。

 自分がまったく弱くなり、無・ゼロになった時、そこにコスモスが働く、という仕組みになっているようです。

 なりたかったらそうなれる、と思います。

>HIROさん

 お互い、忙しいですね。ご苦労さま。

 「こういう人がいたから」なんですよねえ。すごい人がいたものです。

 私たちもこういう人の真似をできるだけしていきたいですね。

 考動しよう!

>ぴぴろうさん

 心遣い有難うございます。ダウンしない程度にちょっとだけ無理をしながら……というのが私のやり方です。

 だいじょうぶ、ご存知のとおり、時々ちょいちょい息抜きもしています(「生き抜き」と意味ある誤変換が出てきました)。

>陽さん

 そうですか、聖書を読んだことがおありなんですね。

 聖書は、すばらしい勇気づけの書ですね(ただ、神話的な表現を現代的・コスモロジー的に解釈しなおす手間が必要ですが)。

 「ちょっと泣けます」というお気持ち、よくわかります。がんばって真理を求めてこられたんですからね。

>みなさん

 私はコスモロジーを学び、アドラーや論理療法を学んでから、気づせてもらったことがあります。

 私たちは、いやおうなしに最後は死ぬように出来ていますね。それは、いくら文句をいっても始まらない、意味のない定めです。

 それを前提にして、かつ今は現に生きていることを考えると、こうなるのではないでしょうか。

 私たちは、今生きている――だって死んではいないわけですからね――力を与えらており、それは死ぬまではあるのですから、まとめていうと、どんなに弱く、無力に見える・思える人間でも、よく気づけば「生きて死ぬのに十分な力は与えられている」ということになります。

 パウロが神の言葉として聞いた「わたちの恵みはあなたに対して十分である」というのは、そういう意味なのではないかと思っています。

 他人との比較や自分の願望を物差しにするのではなく、生きて死ぬ力はすでに与えられているという事実に基づいて、生き抜いた上ですんなり死ぬという道を歩みたいものだ、と思うのです。

 少しカッコいいことをいいすぎましたかね?
 
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こんにちは ()
2008-09-13 18:06:45
久しぶりに聖書をひらいてみましたら、ちょうどこの箇所に古びてちぎれた栞があり、もうすこし先にラインがひいてありました。


ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(第12章9-10)


こうして書いていても、ちょっと泣けます。いくじなしなりに勇気がわいてきます。

己の弱さをごまかしながら生きていた私が、なんとかやってこれたのは、まがりなりにも「真理」を求めつづけたから、かもしれません。

パウロという人はとても頭がよく、行動力があり、こころが熱いひとのように思えます。
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言葉の重み (ぴぴろう)
2008-09-12 11:53:54
具体的な行動のうえに発せられた言葉は本当に重みがありますね。
ここまで重く強い言葉で人の心を動かせる人がいたのかと、ついその時代に思いを馳せてしまいます。

キリスト教信仰の強さの礎が見える気がします。

弱さをごまかして突走ってもダメ、強さを過信してもダメ、自分の力、そしてできることをきちんと見極めなければと思わされる言葉でした。

さまざまな方面にお忙しいことと思いますが、無理をなさらないようくれぐれもご自愛ください。
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こういう人がいたから (HIRO)
2008-09-11 06:51:55
キリスト「教」もこういう具体的な「人」が具体的に行動したから、広まり・力をつけたのだと改めて思いました。

観念・思想・イデオロギー・真理・普遍性・形而上学的・・・
いろいろありますが、その上で人間が動く、弱いながらも動く。
まずは、行動!ではなく、まずは「考動」していきたいものです。
ご多忙の中での更新、ありがとうございます。
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Unknown (74式)
2008-09-11 01:11:33
ひじょうにご多忙のご様子、おつかれさまです。

パウロという人の苦労、すさまじい苦労の連続ですね…
それに耐えて、大いなるものを信じて生き抜いてきたというその人の、「自分は弱い」という言葉、とても人間的に強いものを感じます。

それにくらべればはるかに楽な自分の現状ですが、

>自力の強さの限界・弱さを知って、大いなるものの力に従い頼った時、人はほんとうに強くなれるというのです。

とのコメント、なんだかほんとうにそうなりたいなと思いました。
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