歳の瀬の古典

2005年12月30日 | 生きる意味

 今年もあと1日あまりという時間になって、『正法眼蔵』を開きました。

 頁を繰っているうちに、目にとまったのは、傍線を引いた以下の個所でした。

 仏道を学習するに、しばらくふたつあり、いわゆる心をもて学し、身(しん)をもて学するなり。……

 身学道(しんがくどう)というは、身にて学道するなり、赤肉団(しゃくにくだん)の学道なり、身は学道よりきたり、学道よりきたれるは、ともに身なり。尽十方世界(じんじっぽうせかい)、是箇(これこの)真実人体(しんじつにんたい)なり、生死去来(しょうじきょらい)、真実人体なり。(『正法眼蔵』「身心学道」より)

 仏の道を実践的に学ぶには、仮に分ければ2つあり、いわゆる心によって学ぶのと、体によって学ぶのとである。……

 身学道というのは、体によって仏道を学ぶことであり、この赤い血の流れる体で仏道を学ぶことである。体は仏道を学ぶことから形成され、仏道を学ぶことから形成されるのも体である。世界のすべては、これはまさに真実の人体であり、生きること死ぬこと、去ること来ることも真実の人体である。(同、拙訳)


 1年間を振り返りながら、今年どのくらい学道ということに本気だったかなと思いめぐらしています。

 ここで、道元禅師は、心と体で学ぶのだと言っておられます。

 とりわけ体で学ぶということは、実際に体を使って学ぶこと、赤い血の流れる具体的なこの体で学ぶことだと言われます。

 さらに常識からは離れていますが、人間の体は仏道すなわちコスモスの進化の道筋から形成・創発されたものであり、コスモスの進化の道筋から創発されたのが体だともいえる、と言っておられます。

 常識からは離れていますが、すでにつながり・かさなりコスモロジーを学んできた私たちにははっきりと意味のわかる言葉です。

 世界・コスモスのすべては、私たちの具体的な身体と一体ですから、まさに「真実人体」であり、コスモスが本当の私たちの人体、具体的な赤い血の流れる身体であるのなら、生きることだけではなく死ぬことも、この世にやってくることもこの世から去ることも、すべては真実の人体であるコスモスの働きそのものである、とまさにこの体を使って学んでいくのが、「身学道」という学び方です。

 1年が終わることも、また始まることも、私のこの体と一体のコスモスの働きです。

 体を使ってそれを覚ることが、人間に体が与えられている意味だ、というのです。

 私たちのコスモロジーからすると、私たち人間の身心はコスモスのかけがえのない自己覚醒器官なのでしたね。

 そういう学び方をこの1年してきたか、ちゃんと坐禅や作務をしてきたかと反省をしながら、来年も怠ることなく、コスモスと私が一体であることを体で覚るというくらいの境地を目指して精進できればと思いを新たにしているところです。

 といっても、「ねばならない」と「無縄自縛(誰も強制していないのに自分で自分を強制すること)」するつもりはありません。

 したいからする、したければする、ということですが。


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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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感想 (ウスイツカサ)
2005-12-30 21:40:57
身体があるからこそというものが沢山あります。五感を使っていろいろ味わえれなす。生活そのものが味わいですから、今日のお話は、元気が出ます。

 今年もあと一日となりました、いろいろ教えていただきありがとうございました。

 良いお年をお迎え下さい。



ウスイツカサ
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頭ばかり・・・ (りょう)
2005-12-30 23:08:54
10月来より、かなり学ぶようになりましたが、完全に頭偏重になっています・・・。



身体が置いてきぼりです。



来年は、全身心を通した体験を目指し、行学一如でがんばります。



有り難うございました。
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