大学での授業が終わり、ほっとしていると言っても、まだ採点は完了していないので、もう一仕事の最中です。
そんな中、O大学の男子学生から少し遅れた授業の感想文が届きました。
視力障害があるためテキストや資料を読むのにかなり時間がかかるとのことで、遅くなるのは予め了承済みでした。
コスモロジーの話は、いろいろな問題を抱えている方からは「そんなきれいごとを言ったって…」といった反応もありますが、「とても元気になれた」という反応もあります。
彼の場合、授業時には特に何も言ってきませんでしたが、熱心に聴いてはいるようでしたので、どうなのだろうと思いながら、立ち入ることはしませんでした。
届いた感想文を読むと、思っていた以上に心に深く響いたようで、とても喜んでいます。やはり教えてよかった!
さまざまなハンディや問題を抱えた方や、そうした方に接する指導者の方の非常な参考になると思いますので、本人の了承を得て、以下、ご紹介します。
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「人生とは」,「生きることとは」,ということについて,正直履修以前から真剣に何度も考えることがありました.でもいつも答えはでない,それどころかいつもかなりネガティブな考えになっていました.それだから,私も今回のテキストの最初で先生が紹介しておられた女子学生同様に,「考えないようにする」ことが大事だと本気で自分に言い聞かせていました.また,自分はとにかく日々強い劣等感や,不条理感,理不尽な思いばかり感じていました.
しかし,講座を終えた今,そんな私が本当に自分でも驚くほど,「かわることができた」と確信しています.そして,自分の内面だけでなく,自分の周りの世界がちがって見えるようになった気がします.
今自分が存在し,生きている,ただそのこと自体が,137億年の歴史のおかげ,他のものとのつながりのおかげだ,と思うだけでことばにできないほどの感謝の気持ちを感じます.
心の底から,人生とは,生きることは本質的には「幸せなんだなぁ」という思いでいっぱいになりました.自分も宇宙の一部,宇宙と一体,そう考えると,もう不条理だなんていえないなと思えるようになりました.
授業での学びではなにより,現代科学のコスモロジーが,宗教,とりわけ「縁起の理法」,無常や無我,空,唯識・・・をはじめとした仏教のコスモロジー,さらにいえば,キリスト教神秘主義などと,ほとんどエッセンスとして同じであることに驚きと感動の気持ちでいっぱいです.
この授業で学んだことは,これから生きていくうえで絶対忘れられない,忘れてはいけないものになったと思っています.
無明をなくし,覚りに達するというのは相当難しいと思います.ですが,せめて今回得た考え方を大切に,日々の生活の中で忘れないようになればと思います.
そうすればきっと,もっと「うけいれられるようになって」,より晴れやかですがすがしい,生き生きとした人生を送れるようになるかなと思います.
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唯識―論理療法などの認知的療法―コスモス・セラピーが共有している視点は、「ものごとがどう見えるかは見方しだい」ということです。
自分の置かれている状況が不条理だと感じるか幸せだと感じるか、多くの場合、かなりの程度、自分の見方しだいです(もちろん、どう見てみても幸せだとは思えないという極限状況はあるでしょう)。
彼の場合も、つながりコスモロジー的な見方ができるようになったために、劣等感や不条理感が「生きていることは本質的には幸せなんだなぁ」という思いに変わっています。
ほんとうに、教えて―学んでくれて、よかったと思います。
特にうれしいのは、「今回得た考え方を大切に,日々の生活の中で忘れない」ことが重要だと気づいてくれていることです。
そうです、ここがポイントなのです!
コスモス・セラピーの受講者に頻繁に起こる問題は、聞いた―感動した―元気になった―やがて日常生活にまぎれて、忘れた―元気がなくなった、というよくない流れに流されがちだということです。
すでに学んできたみなさん、繰り返し学ぶ、繰り返し思い出す、心の底(アーラヤ識)に定着させる(熏習)努力をぜひ持続してください。
心理的には、自分の根元(宇宙との一体性)に気づいている状態を「元気」と言い、忘れた状態を「気落ち」と言います。
気落ちしないでいつも元気でいられるよう、気をつけていましょう。
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