日本人はもともと、山でも滝でも壮大な景色を見れば
そこに神を感じて手を合わせる感性をもつ民族だと思うし
初宮参りや七五三やみたいに、
無事にそこまで生きられたことへの感謝を表す儀式として
神社にお参りしたりする。
キリスト教のように、正しい道に導いてくれる唯一の神につき従っていくというより
「すごいなあ」 とか 「ありがたいねえ」 っていう気持ちを
自然に表すかたちの宗教心を持っているように思う。
明治維新か第二次大戦きっかけか知らないけど
「目に見えるものがすべて。科学で分析できるものがすべて。
科学が解明できないものはないもの。
科学を信じないのは無知だから」 って切り捨てられた
そういう自然な宗教心を
ようやく取り戻してきたんだと思う。
ってか、もともとそういう気持ちは抱いていたんだけど
ずっと、そういう自分たちの自然な気持ちを表すことを否定されて
そういう気持ちを抱く自分が怪しかったり無知だったりすると思ってしまっていたのが
ここへきて 「それが自分のリアルだよ」 「そう思う自分が自然だよ」 って
認められるようになったんだろうと思う。
社会もそれを許せるようになってきたんだと思う。
今は、まだ、誰かが 「ここがすごい」 っていうと
「そうなのかな」 って出かけていっているんだと思うけど
そうしてたくさん経験するうちに
もっと自分の感覚を信じられるようになって
自分なりのパワースポットを見つけられるようになると思う。
何より大切なのは、人の意見じゃなく自分の感覚。
もっともっと自分を信じられるようになるといいね。
上の記事、オカルト危惧って表現もどうなの(苦笑)。
オカルトに興味持ったらそれだけで怪しいみたいじゃん。
それはさておき、目に見えなくて、誰にも証明しようがないのをいいことに
それを利用して人をコントロールしようとする動きには
ひっかからないようにね。
とりあえず、占いでもアドバイスでも、不安な気持ちにさせるなら、
偽者か、本物でも使い方が間違ってるから信じる必要ないと思う。