社会科学上の不満

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ヒットラー、ユダヤ人説

2014-09-25 00:01:35 | 社会常識と教育

 手塚治虫氏の「アドルフに告ぐ」と言う作品をご存知だろうか?ヒットラーがユダヤ人であったとする作品である。荒唐無稽に思われるかも知れない、私も最初は何をバカなと思っていた。しかし色々調べると状況証拠的には「クロ」と思われてきた。

 最近、ヒットラーのYタイプ遺伝子のある部分がユダヤ人のそれと同じだったとの記事を眼にした。検証のしようもないのでどうしようもない。

 ただし、ヒットラーの父アイロス・ヒットラーが私生児であったことはハッキリしている。ヒトラーの父はオーストリアの税務官吏であった。この当時のオーストリアはハプスブルク家の統治下にあった。公務員は身元のしっかりした者しか登用されなかった。なぜ私生児のアイロス・ヒットラーが登用されたのか?ヒットラーの祖母が当時ユダヤの王と言われていたネイサン・ロスチャイルドの屋敷に奉公していたことはわかっている。当時の老年のネイサン・ロスチャイルドは女狂いなり、手当たりしだい女性に手を出していたそうだ。仮にヒットラーがネイサン・ロスチヤイルドの孫とするとアイロス・ヒトラーが私生児であったにもかかわらず税務官吏になれたなぞや以下のなぞが氷解する。

 ナチス政権のスポンサーであるクルップ財団はユダヤ資本の王といわれたロスチヤイルド財団の傘下でもある。

 ナチス政権の功績たるアウトバーンと並び有名なフルクス・ワーゲンの工場に生産ラインのノウハウを供給したのは、米国にあるユダヤ財団の一つカーネギ・メロン財団の参下フォード社により提供される。映画「独裁者」の初演は興行的に失敗で戦後再演で人気を得た。米国にもナチス支持者が多数いた。カーネギ・メロン財団など有名である。

 ナチス党は日本語で言うと「国家社会主義ドイツ労働者党」である。日本のマスコミは「新たな国家社会主義ドイツ労働者党」ネオナチをなぜ「極右」と報じるのかも疑問だ。社会主義労働党である。???

 なぜヒットラーはユダヤ人を迫害したのか?手塚治虫氏が書いたコンプレックスからなのか?1938年のエビアン会議の時ヒットラーは「ユダヤ人の国を作りヨーロッパのユダ人を集めよう」と提言し、欧州各国に無視されている。その後水晶の夜に代表されるユダヤ人迫害がナチスにより始まる。

 ナチスのユダ人迫害は600万人の犠牲者を出したといわれるが、ユダヤ人と一言に言っても旧約聖書にあるアブラハムの子孫たるステファラティ・ユダヤ人と8世紀にカスピ海北側にあったハザール帝国(キリスト教勢力とイスラム教勢力とに挟まれそのどちらの元であるユダヤ教を国教とした)の民であるアシュケナージ・ユダヤ人とに大別される。   

 現在のイスラエルでメジャーな地位はアシュケナージ・ユダヤ人と言われる人々である。イスラエル大使館にユダヤ人の定義を尋ねた方がいた。「ユダヤ教を信じること」だそうだ。

 ここで大きな誤解は、ユダヤ資本とユダヤ人とがニア・イコールと言うことである。ロスチャイルド財団が第一次世界大戦の後にユダヤ人の入植を試みたパレスチナの地は不毛な砂漠である。都市住民たるユダヤ人が入植しても直ぐにヨーロッパに戻ってしまう。

 これは、エビアン会議に唯一賛同したスターリンがユダヤ人を入植したシベリアから満州に3万人以上が逃げ込んだオールポール事件もその検証となるのではないか?

 大戦後、ナチスの迫害により多くのユダヤ人がヨーロッパを後にしてイスラエルに移住しパレスチナ人と戦争しながら現在に至る。このヨーロッパからユダヤ人を追い出す仕事をヒットラーにやらせたという説が近年有力になってきた。

 また、ユダヤ人虐殺もナチスはステファラティとアシュケナージとを区別して対応していたそうだ。どうすれば区別できたのか?

 ヒットラーの遺体が直ぐにソ連軍に焼かれて影武者の可能性が否定できない。ヒットラーは南米で90余歳まで生きて天寿を全うしたとの都市伝説もある。

 バチカンがドイツ人(ナチス党員)を終戦間際大量に南米に逃がしたことは、バチカンも認めている。ヒットラーと共に死んだハズのナチス党高位のアイヒッマンが戦後アルゼンチンで逮捕されている。ヒットラーが南米に逃亡している可能性は高い。 


<ネイサン・ロスチャイルド家否定説>

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc616.html

アロイスの母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ市(オーストリア)のユダヤ人資産家フランケンベルガー家で家政婦として働き、その家の息子レオポルド・フランケンベルガーと肉体関係を持ち、赤子(アロイス)を生んだ。 フランケンベルガー家の戸主は、彼女と当時19歳であった息子レオポルドの為に、その赤子(アロイス)が14歳になるまで、彼女に養育料を支払っていた。 フランケンベルガー家と彼女の間には長年に渡って手紙の交換があった。 その手紙では彼女が養育料をもらう権利があるということが前提となっていた。 私生児は母の姓を名乗るという法律に従って、アロイスは40歳のころまでシックルグルーバー姓を名乗っていた」。 このハンス・フランクの記述は以後、多くの著書や論文のなかで紹介された。 

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1 コメント

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Unknown (雪まつり)
2014-09-25 15:20:46
その漫画、読んだことありませんでした!教科書で一通りならうことといえば、アウシュビッツやアンネの日記。なぜ迫害したか等の理由はあまり触れません。昔からヨーロッパ文学にでてくる、金貸しと言えばユダヤ人だったように思いますし、今も凄い資産家がいたり。ユダヤ人も二つに分けられるのですね~知りませんでした。ヨーロッパからヒトラーに追い出させたとは、斬新な意見ですね。何故そんなに嫌われていたのでしょう。
ナチスが左派だったとは!知りませんでした。またしても、マスゴミに騙されました~!やっぱり極左って怖いのですね。
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