昨日、11月11日は第一次世界大戦のアーミスティス・デイ Armistis Day(停戦協定締結記念日)でした。参戦した欧米各国が厳粛な戦没兵士追悼行事をとりおこなったはずです。
写真は、昨日の午後3時48分、郊外のスーパーマーケットの駐車場で右(西の空)から左(東の空)へぐるっとまわって撮った夕暮れ風景です。紫がかったオレンジ色の雲がまたおなじみのサハラ砂漠の砂塵雲 Saharan dust clouds かな、と思って調べたのですがMET Office (気象庁)の発表は見つかりませんでした。
英国のリメンブランス・サンデー Remanbrance Sunday(あるいはレッド・ポピーデイ Red Poppy Day )は、毎年11月11日にいちばん近い日曜日があてられます。
今年はリメンブランス・サンデーの翌日(月曜日)がアーミスティス・デイで、第一次大戦終結に関する厳粛な行事が2日続きだったわけです。
今年は1,944年のチャーチル首相以来80年ぶりに、第一次大戦の同盟国、フランス共和国の追悼儀式に英国の首相が招待されました。
BBCニュースチャンネルでクルマからおりた英国の首相、サー・キア・スターマーがフランスの大統領、エマニュエル・マクロンに暖かく迎えられるシーンではじまる生中継を1時間ぐらい見てしまいました。
私は政治的なことはさておき、弱冠39歳でフランスの大統領に就任、それよりなにより24歳年上の高校時代の演劇部の顧問の先生と結婚した(!)マクロンに下世話な興味を持っていました。
今回の英国首相の式典招待はマクロン個人がサー・キア個人を招待した友情交換みたいなイベントだったようです。
2人は徒歩でおもむいたパリ市内の第二次大戦時の英国首相、チャーチル像と第一次大戦終結協定に調印した当時のフランス首相クレマンソー像に花輪をささげたあと、式典会場の凱旋門にパレード用車両で向かいました。
マクロンのスムースでスマートなエスコートぶりにたまげました。
「はい、次はこちら」「さあ、クルマに乗りましょう」といったかんじにサー・キアの肩や背中に手を添えて誘導するジェスチャーがとても細やかでステキでした!英国の男性政治家にそんなことをする人はいないはずです。もうちょっと堅苦しく振舞うのが普通です。
凱旋門 Arc de Triomphe (なぜか英国では凱旋門のことをアークデトリオーンフとフランス語で言います。英語の観光ガイドにもそう書かれています)の儀式は短くさっぱりしていました。
マクロンとサー・キアが仲良くソーセージ状にまとめた重そうな赤白青の花枕(?)を凱旋門下の無名戦士の墓標に捧げて、フランス時間の11時にぴったりに黙とう、「未来永劫消えない火」に2人で新たに火種を入れて(棒状のトーチを突っ込んでいました)軍服を着た年配の男性合唱団の英仏両国家の斉唱(三部合唱、輪唱つき)を聞きおしまい!シンプルでしたがじゅうぶんに厳粛でした。
凱旋門を囲む円形広場には丸く囲むように野外コンサートみたいな仮設の席が設けられ、関係者が思い思いの服装でリラックスして座っていました。
軍人はもちろん軍礼装でしたが、式典の出席者も男性は普通のダークスーツ、女性はきれいな色のスーツ、儀式が終わった後、凱旋門広場に居並ぶ出席者ひとりひとりにマクロンとサー・キアが朗らかに声をかけて談笑していたのにもびっくり!でした。英語がペラペラのマクロンは通訳までこなし、まるで自分のお友達どうしを紹介しあっているようなカジュアルさでした。
パリからの生中継の後、時差のため1時間遅れで始まったロンドン・ホワイトホールのセニタフ(戦没者慰霊塔)広場での重々しいアーミスティス・デイ儀式の生中継に切り替わりました。はずみで、毎年おなじみのこっちも見てしまいました。
前日のリメンブランス・デイに引き続いて軍礼装の軍人と黒衣で正装した民間人がおおぜい出席、関係者や行進してくる各連隊の代表がポピーの花輪をセニタフに捧げるのに延々1時間以上かかりました。軍隊の楽団による重々しいBGMの生演奏付きです。
儀式の途中、全員無言。高齢の退役軍人が車いすに座って出席していた以外、全員直立不動でした。パリから1時間遅れの11時の黙とう時には英国各地で黙とうする人々の画像に切り替わります。
王室メンバーや政府要人と関係者(退役軍人や戦没軍人の遺族など)が歓談する席が式後に設けてあるそうですが(テレビ放映はされません)人でいっぱいの広場では「笑ったら負け」みたいな雰囲気に支配され誰ひとり厳粛な表情を崩しません。
フランスの国事儀式と大違い...
私が半分退屈しながらそれを見ていると遅く起きてきた夫が「またそれ見てるのか、昨日おんなじの見ただろう?」とイヤそうな顔で言ってきました。愛国心とか軍事パレードみたいなことが大嫌いな夫は社会主義者です。
もう、夫は英国人なのに!混乱しています。「あのね、昨日のはリメンブランス・サンデーで、これは世界共通のアーミスティス・デイ、違うの!」と教えてあげました。どっちにしても興味はなさそうでした。
日本では第ー次大戦に関する関心は皆無ですよね、参戦したはずですのに。あまり犠牲を出していないんでしたっけ。
日本人にとって歴史的に重要な第二次世界大戦の終結記念日には英国人は毎年戦勝祝いで浮かれます。ストリート・パーティとか終戦時の服装の仮装でダンスパーティとか。
5月8日のドイツ軍が降伏したVE Day (Victry in Europe Day 欧州での勝利の日)が英国人にとっての終戦記念日です。
本当の終戦はまだ3ヶ月先の日本が無条件降伏した8月15日なんですけどね、V-J Day (Victry over Japan Day 日本に勝った日)というお祝い行事も毎年あるのですが浮かれ気分にはなりにくいです。日本が降伏して解放された日本軍の捕虜収容所の連合国軍捕虜たちはただただ虐待され酷い目にあっただけで、勇敢なエピソードなどもなさそうですから。
素晴らしい旦那様ですね 僕も同意見です
仏国も英国も
戦没者に敬意を表しているのでしょうが
僕には
もう一度 戦争でもして
新しい 進行方向を 見つけなきゃ
昔の人は 偉かったな?
そんな 内心が 読み取れる?と 思います
僕は 不遜な 人間でしょうね