モンゴル出身の横綱、朝青龍が引きこもっています。
発端は、ケガの治療を理由に巡業を休んでいたのに、祖国モンゴルで、サッカーを楽しんでいる映像が流され、相撲協会や親方衆の怒りを買い、2ヶ月出場停止の処分を受けたことに始まる。
最初、朝青龍の行動を非難する意見が多数だったのに、ここへ来て、相撲協会というか、理事長の態度がはっきりしないことへの批判が出てきました。
いったい、朝青龍は、疲労骨折とやらを本当にしているのだろうか。だとしたら、その治療もしなければ、これから相撲を取れる状態にもっていけないだろうに。
最初、横綱の品格がどうのこうのと言っていたけど、そんなことはどこかへ吹き飛んでいる。
相撲というのは、スポーツというだけでなく、芸能の要素もあるように思うし、これを職業と見た場合、誰も番付は落ちたくないし、生活がかかっているので、星の取引は必然的に起こるような気がする。
1対1の格闘技であるということが、そういう取引を可能にしている。
しかし八百長ばかりでは見るほうは面白くないので、ガチンコと言われる真剣勝負と、談合勝負とが微妙にバランスを取って成り立っている気がする。
そのようにしても、実力のある者、強い者が上へ上がっていくようになっているから、今まで続いてきたのだと思う。
これを真剣勝負だけにしたらどうなるか、と思ってみるものの、こういう形態の勝負では、絶対にそうならない、とも思う。
だから必要以上に形とか、品格とかにこだわるのではあろう。
愛国心なんか無い者や、臆病な者が、ことさらに愛国心を言い立てたり、勇ましいことを言うのに似ている、と言ったら、身も蓋もないか。
北の湖理事長は、現役時代、憎たらしいほど強いと言われ、愛敬はないが、その強さと、率直な雰囲気で、信頼感を感じさせていたように思ったのだが、そうでもなかったのか。
朝青龍にペナルティを課すのはいいとして、処分が厳しすぎましたね。
アメリカのチェイニー副大統領といえば、「戦争、行け行けドンドン」のネオコンの急先鋒の印象が強いが、湾岸戦争時には、「このままバグダットに侵攻すれば、泥沼に陥る」と、父ブッシュに進言したのだという。ならば、なぜ今回は、イラクの奥に侵攻することを進めたのか。
このイラク戦争が間違っていた、ということは、ようやく日本のマスコミでも語られるようになってきたが、それでもコメンテーターが微妙に言及することを避けているのが、この戦争が、アメリカの巨大軍需産業の利益のためであった、という点だ。
軍備は整えれば、それを使いたくなるし、使わなければ意味がない。
軍需産業は、戦争や紛争が、世界のどこかにあることを必要としている。
マイケル・ムーア監督は『ボーリング・フォー・コロンバイン』という映画の中で、不安をあおり、かきたてる社会、アメリカを描写している。
なんと、銃の所有ということでは、隣国カナダのほうが多いのだという。
しかし、カナダに銃による殺人事件は少なく、人々は、家にカギをかける習慣もない。
アメリカでは年間、銃による死亡者は1万人をこえるが、イギリス、ドイツ、カナダでは数10から数100にとどまるという。
ムーア監督は病める社会アメリカの背景に、ロッキード社をはじめとする巨大軍需産業の存在を指摘している。
軍需産業をやめるのか、それとも人間をやめるのか、世界は迫られている。