台風12号奈良奥地と紀伊半島を襲う
元々雨の多いまさに「木の国」地帯ではあるが、林業の衰退で山が荒れ、「平成の大合併」がそれに追い討ちをかけた災害ではなかったか。
福島の原発事故といい、三陸の津波被害といい、その後の政府の対応の悪さを見ると、地方に住む人々が「棄民化」されている印象だ。
日本列島は地震に台風、火山活動、地形は山地が多く、山を放置しておくと、これから益々この手の災害が増えるのではないだろうか。
生佐高の迫力(岩波講座)
長野県須坂市で毎年開かれている「岩波講座」。今年は評論家佐高信氏の講演を聞いた。
鋭い筆致で「原発文化人」などをめった斬りにしてきた佐高氏だが、テレビなどで見る印象では口は比較的重い人と思っていたが、全然そんなことはなかった。テレビではかなり抑えていたのだということがわかった。
野田新首相。相田みつをの言葉を重宝しているようだが、佐高氏はまず「相田みつをは大嫌いだ」と宣言。歯に衣を着せぬとはこういうのを言うのだと思った。
おそらく会場に来ている人達の中には相田みつをが好きな人もいるだろうけど、そういう遠慮はしない。だから迫力がある。返り血を浴びる覚悟をしている。普通はできない。
私は相田みつをは好きも嫌いもない。だいたい標語とか一日一善とか一日一言とかそういうことに興味がない。
「原発文化人」の中では特にビートたけしを批判していた。たけしに比べたら「暴力団との交際」で芸能界を引退した島田紳介などかわいいものだと言っていた。
たけしは最近NHKにも進出している。
ビートたけしと村上春樹の共通点「外国でやけにモテル」。
ただし春樹の本は国内でも売れているが、たけしの映画は入りが悪い。そこは違う。
わたしもたけしの映画は好きじゃない。「いきなりピストル撃って人を殺すな」と言いたい。どんな犯罪にも理由がある。ないように見えても必ずある。そこを描くのが映画であり小説であり、ドラマだろう。
「いい人とはだまされやすい人、御しやすい人」。
1945年の敗戦後、日本人の殆どが「軍にだまされていた」と言った。
福島の原発事故後も「原発は安全だという政府や東電にだまされた」と思った人が多かったのでは。
だます方はもちろん悪いが、だまされる方にも何も考えようとせず、疑いを持たないという責めはある。
どちらかというといい人の中に相田みつをの「我慢をしていればやがて幸せがやって来る」を信じる人が多いのでは。それと偽善的な人間が自分の腹黒さを隠して、人をだますための道具に相田みつをを使う。
原発に関しても、福島でも立地町村で疑問を持ち、圧倒的少数派で反対し続けていた人はいた。しかし周囲の人々はそれを変わり者だとか、いくら反対しても仕方ないとか言って、煙たがっていた部分があったのではないか。
今故郷を失ってさまよっている人には酷ではあるが、少数派の人々を排除してはならない。
メディアの大方は電力会社や大スポンサーの顔色を伺って、報道すべきを報道してこなかった責任があるが、そんな中で、佐高さんのように遠慮せず物を言う人が全くテレビに出られなかったかというとそうでもない。
それはテレビ局の中にも圧力や抗議に負けず支えてくれるような人がいたからだと言っていた。
「佐高さんに言ってもらいたい。書いてもらいたい」と情報や資料を提供してくれる人達に支えられて佐高氏はコラムを書いたり、講演をして廻る。
佐高氏はゴルフやらない。マージャンしない、運転免許持ってない。インターネットもやらない。
そんな佐高氏から見ると、今の新聞社の記者達は便利な道具に振り回されているように映る。
毎日新聞の要請で、東電の株主総会を記者席で傍聴したそうだが、周囲の記者達は下を向いてパソコンを叩いてばかり。
東電の経営者の様子を観察しようともしない。まずは生の人間を見ること、そうしなければわざわざ新聞を買って読みたくなるような記事は書けない。
これだけの事故を起こしながら東電の幹部連は何も反省していない。
いい人のままでいると、その先は「日本滅亡」でしかない。