「頑張ってくださいね」って言う言葉って、
今本当に頑張っている人にとっては、辛い言葉のように思えてならないの。
こんなに頑張っているのに、まだまだ頑張らなきゃいけないの…?って、負担になっていないかなあって。
3年前、そう、もう3年も経っちゃったんですね…主人の大怪我から…
救命救急センターに運ばれて、生死に関わる怪我なんだ、って、初めて聞かされて、
意識の戻らない主人のところへ、毎日毎日通うんだけど、何にも変わらない。
意識も戻らないし、動かない。
高所から、頭から落ちたので、ベッドの上の主人の頭は、普通の人の1.5倍くらいに腫れ上がってて、
まぶたは真っ黒に変色してて、たくさんのチューブに、コードにつながれて…
何にも出来ないんだけど、毎日毎日行っては、体をさすったり、拭いてあげたりしていたな。
毎日行っても、あまりに状況が変わらないけど、それでも行ってた。
朝の10時くらいに着いて、夕方6時くらいまで。
1日中いるわけだから、逆に、病室で隣にいても、やることはないし、看護師さんや先生の邪魔になってはいけないからって、
時々、病室の裏の出来たばっかりの、きれいな庭に行っては、明日からどうしよう…とか、入院費用はどうなるんだろう…とか、
これからの生活は、生活費はどうなるんだろう…とか、寝たきりになるって言われていたので、帰ってきたら、どの部屋にどうやって主人の場所を作ろう…とか、
出口の無い、恐怖と戦っていたのを、今でもとっても鮮明に覚えてるのね。
自分でも、いっぱいいっぱいだったんだと思う。その頃は、きっとため息ばっかりついて、
けっこう外見も辛そうに見えてたのかな…
ある日、救命センターの救命救急の資格を持っておられる、看護師さんに、
「あんまり頑張らなくていいのよ」って、フッと言われたのね。
「そんなに頑張っていると、あなたが倒れちゃう」って。
自分では、「頑張ってる」感は、あんまり無かったんだけど、
今にして思えば、それなりに頑張っていたんだと思うの。
事故のことを知った方から、「頑張ってくださいね」って、必ず言われていたし、
ちゃんとしなきゃ、取り乱しちゃいけないのよ、って、自分で取り繕っていたんだと思う。
急に、頑張らないで、って言われたときに、なんか、我に戻った気がしてね、それまで気が張ってたからかわからないんだけど、泣かなかったの、私。
ところが、その言葉を聴いたとたんに、涙がボロボロ出てきちゃって、自分でもビックリしたの。
人って、励まされると、それに応えなくっちゃ、って、「辛い」とか、「悲しい」とかいう感情を、
出せなくなっちゃう気がしてるの。
励まされなくたって、実際、頑張っているんだもの。
今回の災害でも、そうだと思うんだ。
今、本当に頑張っている人に、頑張ってって、言えない気がして…
精一杯頑張っているんだもん。もっとって、言えないよ。
「応援メッセージ」を見ていても、頑張ってください!っていうのが、やっぱり多いのね。
だからって、じゃあ、どんな言葉かけをしたらいいのかっていうと、それもよくわかんないんだけど。
私のときと、比べては、全く状況も違うから比較にはならないけど、
私のときは、友人が「夜中でもいいから、いつでもいいから、辛くなったら連絡しなね」って、
言ってくれたことかな。
だいぶ経ってから時々聞いてもらったのを覚えてる。
でも、一人になったときに、もっと何回も彼女からのその言葉を繰り返して、
自分を奮い立たせてたことがあったな。
そうやって、いつでも聞いてくれる人がいる、って、思えたことが、自分を支えてくれてたんだと思うの。
こういう時って、親や兄弟には、心配かけないようにって、けっこう大丈夫って繕ってしまったりしてね。
辛いときに辛いことを、ただ、うんうんって、聞いてくれるだけでよかった。
いつでもそばいいるよ、って、寄り添ってくれることが、嬉しかったなあ…
だから、今回は、私が頑張る。
収入も少なくて、大した額の募金も出来ないけど、
それでもあと何回かは、必ず募金してくるつもり。それしか、今の私に出来ることって、無いようで…。
節電にも出来る限り努めたい。
…ところが、うちのご主人さま、必ず、大好きな「ちい散歩」を、
オンタイムで観て、録画もしているから日に何回も録画を見てるの。
しかもその途中、10分くらい経つと必ず寝てる…
なんて、非国民!!
今本当に頑張っている人にとっては、辛い言葉のように思えてならないの。
こんなに頑張っているのに、まだまだ頑張らなきゃいけないの…?って、負担になっていないかなあって。
3年前、そう、もう3年も経っちゃったんですね…主人の大怪我から…
救命救急センターに運ばれて、生死に関わる怪我なんだ、って、初めて聞かされて、
意識の戻らない主人のところへ、毎日毎日通うんだけど、何にも変わらない。
意識も戻らないし、動かない。
高所から、頭から落ちたので、ベッドの上の主人の頭は、普通の人の1.5倍くらいに腫れ上がってて、
まぶたは真っ黒に変色してて、たくさんのチューブに、コードにつながれて…
何にも出来ないんだけど、毎日毎日行っては、体をさすったり、拭いてあげたりしていたな。
毎日行っても、あまりに状況が変わらないけど、それでも行ってた。
朝の10時くらいに着いて、夕方6時くらいまで。
1日中いるわけだから、逆に、病室で隣にいても、やることはないし、看護師さんや先生の邪魔になってはいけないからって、
時々、病室の裏の出来たばっかりの、きれいな庭に行っては、明日からどうしよう…とか、入院費用はどうなるんだろう…とか、
これからの生活は、生活費はどうなるんだろう…とか、寝たきりになるって言われていたので、帰ってきたら、どの部屋にどうやって主人の場所を作ろう…とか、
出口の無い、恐怖と戦っていたのを、今でもとっても鮮明に覚えてるのね。
自分でも、いっぱいいっぱいだったんだと思う。その頃は、きっとため息ばっかりついて、
けっこう外見も辛そうに見えてたのかな…
ある日、救命センターの救命救急の資格を持っておられる、看護師さんに、
「あんまり頑張らなくていいのよ」って、フッと言われたのね。
「そんなに頑張っていると、あなたが倒れちゃう」って。
自分では、「頑張ってる」感は、あんまり無かったんだけど、
今にして思えば、それなりに頑張っていたんだと思うの。
事故のことを知った方から、「頑張ってくださいね」って、必ず言われていたし、
ちゃんとしなきゃ、取り乱しちゃいけないのよ、って、自分で取り繕っていたんだと思う。
急に、頑張らないで、って言われたときに、なんか、我に戻った気がしてね、それまで気が張ってたからかわからないんだけど、泣かなかったの、私。
ところが、その言葉を聴いたとたんに、涙がボロボロ出てきちゃって、自分でもビックリしたの。
人って、励まされると、それに応えなくっちゃ、って、「辛い」とか、「悲しい」とかいう感情を、
出せなくなっちゃう気がしてるの。
励まされなくたって、実際、頑張っているんだもの。
今回の災害でも、そうだと思うんだ。
今、本当に頑張っている人に、頑張ってって、言えない気がして…
精一杯頑張っているんだもん。もっとって、言えないよ。
「応援メッセージ」を見ていても、頑張ってください!っていうのが、やっぱり多いのね。
だからって、じゃあ、どんな言葉かけをしたらいいのかっていうと、それもよくわかんないんだけど。
私のときと、比べては、全く状況も違うから比較にはならないけど、
私のときは、友人が「夜中でもいいから、いつでもいいから、辛くなったら連絡しなね」って、
言ってくれたことかな。
だいぶ経ってから時々聞いてもらったのを覚えてる。
でも、一人になったときに、もっと何回も彼女からのその言葉を繰り返して、
自分を奮い立たせてたことがあったな。
そうやって、いつでも聞いてくれる人がいる、って、思えたことが、自分を支えてくれてたんだと思うの。
こういう時って、親や兄弟には、心配かけないようにって、けっこう大丈夫って繕ってしまったりしてね。
辛いときに辛いことを、ただ、うんうんって、聞いてくれるだけでよかった。
いつでもそばいいるよ、って、寄り添ってくれることが、嬉しかったなあ…
だから、今回は、私が頑張る。
収入も少なくて、大した額の募金も出来ないけど、
それでもあと何回かは、必ず募金してくるつもり。それしか、今の私に出来ることって、無いようで…。
節電にも出来る限り努めたい。
…ところが、うちのご主人さま、必ず、大好きな「ちい散歩」を、
オンタイムで観て、録画もしているから日に何回も録画を見てるの。
しかもその途中、10分くらい経つと必ず寝てる…
なんて、非国民!!