1/99(きゅうじゅうきゅうぶんのいち)

あみものと手仕事と旅の記録

Road to NC (6)

2010-03-20 14:12:44 | U.S.2010
「ノース・カロライナへの道」シリーズ、そろそろ締めにかかろうかと思います。残りの日程の内容と感想をざっくりと(と思ったものの自分で読み返すのも大変なくらい長くなっちゃった)。


大学3日目。
この日は滞在中もっともよいお天気に恵まれました。午前中はフリータイムでキャンパス周辺でお土産を買ったり、キャンパスの美しい建物を見て回ったりして過ごしました。


初日にランチしたカフェの外観。大学のロゴカラーがスカイブルーで、大学街もブルー系で統一されててお洒落。

午後はF先生の博士課程学生のゼミを聴講。「これからD論書くぞ~!」な5人が各自の研究計画を発表する日に当たっていました。F先生の学生への指摘とアドバイスは、本質的、建設的、具体的と三拍子そろっていて、素晴らしいことこのうえなかったのですが、なかでも印象深かったのは、「自分の研究内容が研究資金をもらえるものなのかよく考えろ」という先生の発言。日本の社会科学系では、研究資金の獲得は(いまのところはまだ)“先生のお仕事”という位置づけなので(超一流学府では必ずしもそうではないようだけど)、その違いに驚く。文系の研究は理系と違って大きな機材や高価な薬品は不要だけれど、それでもある程度のお金はかかるわけで(文献収集、学会出張、通信費などなど)、それをどう工面するか(自腹を切れるかも含めて)が下っ端の悩みどころ。アメリカのようにいろいろな団体が研究助成金制度をもっているのは利点だけど、いっぽうで、資金の出所が研究結果へ影響するのかしないのかが気になるところ(ちなみに、この大学は州政府からの委託研究がかなりの割合を占めている。ので、まあ、ある程度の公平性は担保できているのかな)。

このほかに先生が強調していたのは、「興味の範囲が広くてあれもこれもってなるのは分かるけど、とにかくテーマを絞り込んで、どんなに小さくてもいいから誰もやっていないことを1つか2つ(これで十分)見つけて、そこを徹底的に突く」ことと「それが実施可能な調査なのかどうかもよく考える」ということ。これは、いままさに「あれもしたい、これもやりたい」とアタマのなかだけで壮大な計画をだだっぴろげちゃっている自分の肝に銘じたい。とまあ、この聴講で「こんな機会をもらえて、ドクターに進んでほんとよかった!これからもがんばる!」と心底おもったのでした。


大学のシンボルになっている丸屋根のあずまや。以前は井戸で、隣接する学生寮たちが使っていたそうです(現在は井戸は閉じてあって、水道から引いた水飲み場になっている)。


大学4日目。
今日は授業はなく、数名の教員・研究員と30分ずつお話させていただきました。彼女たち(全員女性。福祉領域に女性が多いのは日本と同じ。そして教授レベルになると逆転するのも日本と同じ、、、)からアメリカの児童福祉の調査研究についてお話を伺うことで、日本の児童福祉を見る新しい視点を得られたように思います。非常に示唆に富む発言や資料をいただくことができて感謝感謝でした。


これは、この日お会いした、翻訳書原著の分担執筆者であるG先生に記念にいただいた手作りのマグネット。貝のうえの黒い物体はサメの歯の化石(これはあとから貼り付けたのではなくて、みつけたときのままなのだそう)。


大学5日目(最終日)。
この日は2つの講義を見学(ここの1コマは日本の2コマ分に相当)。午前は、20年以上ワーカーとして働いた経験のあるJ先生のクラス。この講義では毎回クライエントとソーシャルワーカーを学生がロールプレイしながら、面接の過程を進行するというかたちをとっていて、非常に実践的(性的志向性も含めた人間の多様性を尊重した実践方法を徹底的にたたきこまれる)。なによりも、先生自身が“歩く実践の知”というかんじで、「ソーシャルワーカーは、クライエントに状況を変えられるんだっていう希望をもたらさないといけないの。人は変わらない、なんていう人間は、この業界から出てって!よ」と熱意を込めて語りかけていたことに強烈な印象を受けました。

午後は、午前の先生と打って変わってとっても柔らかい雰囲気の先生の授業(内容は思春期後半から30~40歳代にかけての発達課題、MSDの診断基準についての知識と、実践におけるそれらの活用方法)。教室に入って行ったら、スライドで「Welcome Suika!!」と迎えてくださって感激。このクラスは人数が多かった(20人ほど)からなのか何なのか、一部の学生同士のやりとりがアグレッシブで、「え、なんか仲でもわるいの?」とはらはらしてしまった。でもアメリカでは、そういうのをいちいち気にしてたらやっていけないんだろうなあ…。

いくつかの講義を聴講してもっとも感心したことは、学生の発言の多さと積極性。ソーシャルワークの修士に在籍しているここの学生たちにとって、修了することは生活がかかっているとはいえ(修士卒でなければ現場で高い地位に就くことはむずかしい)、それを差し引いて考えても、彼らの発言の頻度と内容は、他者の話を批判的に聞くという訓練を子どものころから受けてきたたまものであるところが大きいだろうと思いました(聞くことも上手いので、その反対の意見を表明することにも長けている)。とにかく、授業は先生から与えられるものではなく自分たちが作り上げるんだという姿勢が見て取れるし、そうした意識をもっているか否かで学習をとおして身につくものの重みが変わってくることは容易に想像できる。それでも、というかだからこそというのか、教える側には専門知識だけでなくひとりの人間としてのクオリティの高さが求められるなあということも実感しました。


キャンパス内になぜか梅の花。


わずか10日間で、予想していた以上に良い刺激を受け、視野を広げることができました。学業面でのもっとも大きな収穫は、ソーシャルワークという領域の発展は、アメリカという国と英語という言語が重なることによってもたらされたものなのだろうなということを体感できたこと。ソーシャルワークは、自分の意見を主張することがネガティブに評価されない文化を下敷きにしていて、現実はどうあれ、アメリカという国が、少なくともそうした文化を目指したくてやってきたからこそソーシャルワーカーが専門職たりえてきたのかなということに想像がおよぶようになった。このことは、わたしがこれから日本で児童福祉領域のソーシャルワークを学んでいくうえでとても重要な軸になるような気がしています。


キャンパス内のお気に入りの建物。いつかまた、ここを訪れることができるといいなあ。


この調査旅行を可能にしてくださった方々すべてに心から感謝しています。どうもありがとうございました。帰国してから1ヶ月以上経つけれど、見聞きしてきたことをアウトプットしていくにはまだまだ時間がかかりそう。こうしてまとめたものを読み返したり、土産話を聞いていただいたりしながら、自分のなかで熟成させて、研究の糧としていきたいと思います。
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Road to NC (5)

2010-03-03 20:15:51 | U.S.2010
今日はこの旅、最大の懸案事項、"英語でプレゼン"の日。テーマは「日本の子ども虐待の現状について」。ご助言いただいた方々へのご報告も兼ねての記事アップです。

このプレゼンは、この大学を訪問することが決まったときに、F先生から提案されたこと。こちらからお邪魔して、なにかとお手間をとらせるわけだから、お断りするわけにはいかないし、こんなチャンスも滅多にないだろうということでお引き受けしたのだけど、準備がタイヘンだった~(これについては、また別の機会に書きたい)。

アメリカに留学中・留学経験のある友人たちに片っ端から聞いたところ、このプレゼンは「ランチョンセミナー」なるもので、昼食を取りながらのお気軽なレクチャーじゃないかという意見が大半を占めていました。でも、事前に送られてきた案内チラシに漂うフォーマル感といったらもう「どこの専門家が来るのか?!」的なかんじだったので、とにかく自分でできる限り正式なプレゼンの準備をしていきました。

ちなみに、こんなチラシ↓(左上の紙)。

これが学内各所に掲示されているのをプレゼン前日に目撃しちゃったら、緊張するなというのが無理というもの
それでも、前日にF先生が「たぶん、5、6人しか来ないよ」と言っていたので、「まあ、ゼミ発表みたいなもんか~」とちょっと安心していたのですが…。

セミナー開始時間に近づくと、部屋にわらわらと人が入って来て、あっという間に10人以上に。その後も、ぱらぱらと参加者が増えてぱっとみただけでも15人くらいいるかんじ。「ええ~、聞いてないよ~」と変な汗がじっとり。

スタート時間が来たところでF先生が、わたしの紹介などをしてくださったのだけど、このときに先生が「5000人とか来ちゃったら困ると思って言ってなかったけど、ピザを用意してるから、みんな遠慮せずに食べてね」なんてカワイイ冗談を言うもんだから(F先生は60歳代前半の男性)、思わず笑ってしまって、そのおかげで少し緊張がほぐれ、腹も決まった「やるっきゃない!」と。

結果、プレゼンのパフォーマンスは自己評価で120%の出来(これは、なにかと完璧を求めたがるわたしにはきわめて珍しいこと)。質問が多かったことが、成功の感を得たいちばん大きな要素だと思います。「日本の児童福祉」なんてなじみのない領域に関心をもってもらえたのがいちばんうれしかったです。

だだし。質問への回答については、問題ありまくり。まず聴き取りが難しいし、分かったとしてもそれを英語で答えなくちゃいけない。ここでのわたしの英語が酷くて酷くて、グダグダ英語による惨憺たる質疑応答になってしまいました。
そんなわけで、一問回答し終するだけでぐったりなんだけど、間髪入れず次の質問が来る。さらにレクチャーする側のマナーとして「何でも聞いてくださいね」という姿勢は保ち続けなければならないので、まさに全身全霊のガチンコ勝負。

必死で質問を聴き取るすいかの図。

残された課題は大きいものの、こんな交友的な雰囲気のなかで英語のプレゼンデビューを果たすことができたことに感謝。そのチャンスを与えてくださったF先生に大感謝でした。

このレクチャーでは、本当にたくさんのことを学び、考えました。Suikadonna Blogに詳しく(長く)書いています、よろしければそちらもごらんください
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Road to NC (4)

2010-02-20 16:34:28 | U.S.2010
滞在期間中の平日は、訪問先の大学で過ごしました。
1日目は、週末の雪の影響でバスが大幅に遅れたため、タクシーで大学へ。


訪問先の大学院の外観。

翻訳作業中から、メールで励ましや助言をくださった原編著者のF先生と感激のご対面。翻訳することになった経緯等をお話したり、テーマであるリスクとレジリエンスの視座の概念について説明いただいたり(なんという贅沢な個人指導!「これで今回の目的は達成した。もう帰国してもいーよね」なんて思ったくらい)。お忙しいにもかかわらず、ランチをごちそうしてくださったうえに、キャンパス案内までしていただきました。


キャンパスの中心に位置する広場は、南北戦争(!)のときに北軍が占領した場所。
写真は北軍を象徴する銅像(これについては、国内に占領/被占領のシンボルがあるのはよくないという議論があるとのこと。ここから少し離れたところに、これに対抗する多様性を表したオブジェが建っていました)。

F先生は、とにかく温かくゆとりのある人格者でいらっしゃる。もちろん研究者として、超一流の頭脳をお持ち。「この人だから、保健医療、教育、福祉と多岐にわたる原編著書を完成させることができたのだろうな」と直接お話ししていて思いました。

午後は、修士学生のクラスを見学させてもらいました。修士コースの学生は全員が週の半分はフィールドで実習し、2日間は大学へ来て授業を受けることになっています。そのため、講義内容が非常に実践的という印象を受けました。

夕方は、F先生のお宅へご招待いただいて、奥さまのMさんと一緒に夕食をいただきました。Mさんはとってもチャーミングな方でした(このお二人は、わたしが密かにストックしている「理想の夫婦リスト」に初登場にしてダントツ1位でランクイン!)

明日の2日目は、いよいよ今回最大の懸案事項“英語でプレゼン”が待ち受けています。どうなることやらどきどき~~

追記:より詳細な記録は、昨年末に開設したSuikadonna Blogに載せています。よろしければ、こちらもどうぞ(なぜだか分からないけど、とんでもなく小さいフォント設定になっています。ご自分のPCで調整して読んでください、ごめんなさい)。
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Road to NC (3)

2010-02-14 14:52:27 | U.S.2010
先日、アメリカから無事に帰国しました。
時差ボケに半分慣れたかんじで帰って来たので、戻ってからも時差ボケをひきずってます。とにかくずっと眠い。疲れがどっと来たというのもあるのだろうけど。

海外に行くたびに食べ物レポをしている食い倒れチャンピオンなわたしですが、今回は……いやあ、もう、写真を撮りたい!と思う食事にほとんどありつけませんでした 

何枚か撮ったのは“ネタ的”なものばかり。たとえば、、、

これがホントのテキサス・バーガー@テキサス州ダラス。

もちろん、完食ならず。ていうか、全部食べちゃだめでしょ?

毎日、ほとんど同じ食事(アメリカン・スタイルの朝食、昼は大学の学食っぽいもの=レタスが申し訳程度に挟んであるパンかラップサンド、夜は近所の中華料理=生野菜を食べるために通っていたけど、料理はすべて脂っこい)。まあ今回の旅の目的は、まったく違うところにあったので、食事はどうでもよかったけれど、終盤になると身体が受け付けなくなってきたりして。最終日には、スーパーで買った出来合いのサラダに食当たりというおまけつき(野菜を洗い足りなかったのか、洗った水がダメだったのか…原因はナゾのまま)。今回、海外へ行くのに初めて持参した、具だくさんのインスタント味噌汁にどれほど助けられたことか…

写真をアップできる環境になったので、訪問先の写真など交えて記事を書きたいと思います
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Road to NC (2)

2010-02-07 05:44:26 | U.S.2010
「アメリカの旅」シリーズ、タイトル変えました(あまりにベタなので。新タイトルもどうかと思うけど)。

ノースカロライナ(NC)は、現在、2月6日(土)の午後4時前です。
昨日の金曜日で、こちらの大学でのプログラムはすべて終了しました。
この週末は、観光したり、海外旅行の最大の楽しみ“スーパーマーケット見学”に行くつもりでした。ところが今朝からまた雪がちらつきはじめたためか、バスの運行がストップしていて、おまけに明日の日曜日はもともとバス運休日なんだそうで。ダウンタウンから離れたところに滞在しているので、歩いても周囲にはほとんど何もなく、宿に軟禁状態(笑)&クルマ社会アメリカを痛感中。
まあ、この5日間、たくさんの人に会い、良い刺激を少し過剰気味なくらいに受けたところだったので、少しお休みが必要ということなのかもしれません。

そんなわけで(?)今回の旅の原点を振り返ってみちゃったりすると、博士課程を目指して研究生として大学院に戻った、3年ほど前にまで遡ります。学問の世界とのギャップがあったし、子ども家庭福祉(児童福祉)領域を専門にすると決めてはいたけど、具体的には何をテーマにしていいか分からなかった時期に、研究テーマの土台になりそうな翻訳を提案されたのが始まり。

今回の原著を見つけるまでに3~4か月かかりました(見つけたときは“ビビッと来た”。ので、わたしの“ビビッと来る”運は、この本で使い果たしたかも…)。そのあとは、ひたすら訳して、原著のもつ格調高い学術的な雰囲気を損なわない日本語にするための奮闘の連続でした。「ドラちゃんの“ホンヤクこんにゃく”がほしい!」と机に突っ伏したことが何度あったでしょう…。

と、なんだか苦労話みたいになってしまったけど、あのころから比べたら、ずいぶんと遠くまで来たなあと、しみじみ感じる1週間でした(記事のタイトルはそのあたりの意味合いを込めて)。そして、この1週間のさまざまな人たちとのすばらしい出会いが、3年間の苦労(と自分でいうのもなんだけど)をすべて帳消しににしてくれた…いや、この出会いと機会と比べたら、あんな“苦労”なんて何でもなかったんだと心から思える毎日でした。

そんな日々を振り返って、いまいちばん実感していることをいくつか。。

ひとつは、メールやインターネット経由の電話など、便利なツールがどんどんできて、それはそれでうまく使えばいいけど、生身の人間として人と会うことがどんなに大切なことかを学べたこと。そうした経験をとおして、ここまでの道のりと、これからの道のりを支え応援てくださるすべての方への感謝の思いが、いっそう深まりました。

そして、これからの研究の目標もできました。大きな目標と、そのために積み重ねていくべきステップがより明確になったし、何よりもそれに必要なモチベーションが高まったのが大きな収穫。

ただひとつ悔やまれるのが、わたしの英語のひどさ。言われていることは(なんとか)分かるのに、それに答えられないことの申し訳なさ。何よりも一番かなしいのは、「わたしはあなたに、これこれこういう理由でたいへん感謝している」ということをきちんと伝えられないこと。帰国したら、英語のアウトプットの機会を増やそう考えています。

と、またまたとりとめがなくなってきてしまいした。
自分のなかに蓄積されたものを整理するためにも、5日間を1日ずつ振り返りたいと思っています。が、持参しているパソコンの文字の小ささにまたまた目がしょぼついてきたので、今日のところは、このへんで。とほほ。

追記:ご報告したいことがひとつ=最大の懸案事項だった“英語のプレゼン”。おかげさまで、自己評価では大成功でした。質問をたくさんいただけたのがうれしかった(十分に答えられなかったのが申し訳なかった…)。こちらの先生にも「よくがんばった」と言っていただきました。英語のプレゼンのアドバイスとしてくださった方々、成功を応援してくださった方々、どうもありがとうございました☆☆☆
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Road to NC (1)

2010-02-01 05:28:56 | U.S.2010
アメリカ南東部のノースカロライナ州にいます。
翻訳のテーマ関連での調査研究旅行で、約1週間の滞在予定です。

アメリカに来たのは、大学の卒業旅行以来、14年ぶり(トシがばれる)。
前回は、シアトル-デトロイトーボストンという北部ばかりを4週間かけてまわったのだけれど、今回は南部。
以下、メモ書き程度にここまでの旅程と印象をざっくりと。


1月30日土曜日の早朝に日本を出発したので、まだ2日しか経っていないのだけど、いまもっとも驚いているのは、とにかくスペイン語(と思われる言語)を話す人たちが多いこと。そりゃ、公用語にしようという州もあるとかないとかいうのもわかるってかんじ。前回と比べるしかないわけなんだけど、時間の経過で移民が増えたからというよりも、地域性・地理的要因のほうが大きい気がしています(実際のところはどうなんだろう)。

スパニッシュ系でも、もともとの出身地は中米から南米、プラス米国内生まれの2世も含めていろいろだときくし、ここに黒人、アジア人、白人、先住民が加わって、アメリカってほんとに人種がごったがえしなんだと実感中。こういう複雑な構造のなかにいると、自分の存在意義とか、社会のなかでの自分の位置とか、力の有無とか、常に意識しておかなきゃいけないんだろうなという印象です。そういうなかで、社会的に容認されないような形で自分の存在を認めてもらいたい!(要するに犯罪に走っちゃうとか、DVとか子ども虐待とか、ね)っていう負のパワーみたいのが出てきてしまったりするんだろうなあ、と考えてみたり。まあ、当人たちは、わたしが思うようには感じていないのかもしれないけれど(ちょっとネガティブに推察しすぎかしらん)。

飛行ルートは、(もはや一地方空港でしかない)関空-成田ーダラス-ノースカロライナ、のはずが、なんとダラスでフライトキャンセルに出くわして1泊(夕食をホテルの外で食べたけど、ダラスは、テキサス~、西部~、カウボーイ~ってかんじのマッチョなとこでした。超ビッグサイズのハンバーガーの写真を載せられないのが残念)。

フライトキャンセルの原因は、ノースカロライナを襲った猛吹雪。なんでも、昨夜まで市内全面交通禁止の事態だったとか。1週間ほど前から、訪問先の先生たちから「寒波がくるから防寒対策しっかりね」と言われていたし、日本を出る直前までずーっと状況を説明してくれていたおかげで、ダラスで「フライトキャンセル、ここで1泊して」と言われても冷静でいられました。あのこまめな連絡がなかったら、パニックになったに違いない。

そんなとてもきめ細やかで、(おそらくそれゆえ)全米屈指の名門校のトップに名を連ねている先生方に、明日お会いします。大学院の授業も見学させてもらえるので、なんだかプチ留学みたいなかんじで、楽しみ。なんだけど、いまは火曜日に英語でやる「日本の児童虐待の現状について」のプレゼンでアタマがいっぱい。いまのところ買い物とホテルくらいでしか英語を話していないけど、アウトプットがぜんぜんダメダメで、これまたやや気が重い…。もうちょっといけるかと思ってただけに、がっかり。思わずタイ語が出そうになったりして、もうグダグタです。

それにしても、14年前のアメリカ旅行を手配したときは、電話とFAXが最速の通信手段だったのに、いまやインターネットでブログを更新したり、twitterでつぶやいたり、フライトキャンセルの連絡もメールですいすいできるなんて、隔世の感いだきまくり(それで思いだしたけど、アメリカの前年にい行ったカナダではフライトの遅れがあって、その連絡がうまくできなくてかなり悲惨な目にあった)。

そんなこんなで、超ミニサイズのノートPCを使用しているため、目が疲れてきた(のと、内容がとりとめなくなってきた)ので、今日はこのへんで。明日以降の記録は、なんとなく、帰国後になるんじゃないか…なんて思っていますが、またレポートします!
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