ソウルの旅2日目。
この日は、友人の結婚式。韓国語が堪能な知人2人と合流して式場へ向かいました。
日本で結婚式といえば最もフォーマルな場のひとつ。新婦である友人から「日本とは全然違いますから」と言い置かれていたのだけど、ほんとにそうでした。
たとえば、
・結婚式には誰が来てもいい。招待状を持っていなくても「友達の友達だから」みたいな関係で出席してもOK。
・ご祝儀なんかもあんまり細かいことは言わない様子。
・時間におおらか(笑)。わたしたちが行ったところは2階が式場で、1階が食事をする場所という建物で、新婦に「式が始まるまで1階でご飯食べてて」と言われてそうしていたら、知らない間に式が始まっていました。
式場もこんなかんじ、開放感あふれまくり(写真は新郎新婦が新婦側の両親に挨拶しているところ。新郎は最も丁寧な挨拶(=跪いて、さらに額を床につける)をしていました)。
親戚縁者は前方の椅子に座っているけど私語が多いし(苦笑)、チャペルを仕切るドアが無いので、いったい誰が、執り行われている式の参列者なのかはっきりしない。後方にいたわたしたちのそばには、明らかに次の式を待ってる風の人たちがうろうろしてました。
新郎新婦はともにクリスチャンなのだけど、韓国式の結婚の儀もやりますというので見に行きました(実は、これが一番の楽しみだった)。
豪華なチマチョゴリに着替えた新婦はとっても美しかったです(手芸バカとしては、チマチョゴリの細かな縫い目や刺繍に目が釘付け)。が、この衣装とカツラがとんでもなく重いらしく、隣にいるおばさんに助けてもらわないと、立ったり座ったりができないとのことでした。
浅学なのでよく分かりませんが、儒教に則った儀式。儒教的に偉い人の順番(=男性の親戚から、年齢の高い順)に、新郎新婦が広げた布に、栗とナツメを放り投げます。栗は男子、ナツメは女子を表していて、子宝に恵まれますように、と祝福しているとのこと。ほかにもお酒(らしきもの)を飲み交わしたり、最後に新郎が新婦をおんぶして歩いたりという場面がありました。
この後、新郎新婦が、日本からの一行をお茶でおもてなししてくださいました。新郎さんにわたしたちの印象を聞いたら、「いつも写真で拝見してたので、テレビの中の人たちと会ってるみたいな、へんなかんじです」と言っていたのがおもしろかった。
ホテルに戻り、夕方から東大門へ。「どこからこんなにたくさんの人が?」と思うくらいの熱気に溢れた通りでした。屋台の(ぱちもん売ってる)お兄ちゃんに「隠してるものあるよ!」と声をかけられて、友達と大爆笑。何隠してるねん~~。
夜は、ちょっと奮発して烏骨鶏の参鶏湯(しかし身が黒いのが、なんとも…。お味も「ほんとはもっと美味しいんだろうな~」というレベルで残念でした。。)。
ソウル3日目。最終日。
Lotte百貨店まで行って、お土産などを調達。お昼はレストランフロアの韓国料理店で。
ソウルで観光客が行くようなところは、必ず日本語を話す人がいるか、日本語表記のメニューや説明書きがあるので(「みそーしる」といった種類の日本語表記はご愛敬)、今回の旅行では、言葉の面で困ることは全くありませんでした。また、治安面も、適度に気をつけている限り、日本とそれほど変わらない印象でした。夜に何度かタクシーを利用したけど、危ないと思うようなこともなかったし。
韓国も経済不況とそれに伴う貧富の差の拡大が社会問題になっていると聞きますが、街を歩いている人の顔が、全般的に、良い。エネルギーに溢れているというか、我慢だったり根性だったりといったものに縛られていない自由さがあるというか(たった3日の滞在なのでどれだけ事実に近いかは怪しいけど。でも、たった3日で日本に帰ってきて、日本の人たちの顔つきの悪さにぞっとしたのは本当)。
それから、観光客を引きつけるためのさまざまな工夫と努力は、すざまじい。ビジネスのためといってしまえばそれまでだけど、不思議なことに「お金のために無理矢理やらされてる感」はあまり感じなかった。なんでだろうなー。
そこから転じて、日本の観光についてもちょっと考えをめぐらしたり。日本では「もっと外国人観光客を!」などと言っているけれど、はたしてあそこまで徹底してできるかと聞かれたら、きわめて難しいだろうと答えざるを得ない。なんだかんだ言って、追い詰められていないというか、「そこまでして…」みたいな変なプライドの高さがあるんだよね、日本(人)ってきっと…。あと、「こちら(日本)が合うと思う方は喜んでお引き受けしますが、そうでない方はご遠慮します」と客を選ぶような姿勢とか。だいたい、観光というのは、おもてなし、という綺麗事で片付けられない部分(ハングリーさとか、したたかさとか)も含んでいると思うので、その辺が格好つけの日本(人)にとってはハードルが高いような気がする(そして、そうも言っていられないことも十分に分かっていて、日本にだって現場で地道な努力をされている方々がいらっしゃるのでしょうけれど)。
本当に短い駆け足の滞在で、現地の人の接触も少ない旅行でしたが、「韓国=お隣の国」というけれど、あちらはやっぱり大陸なんだなあ…と実感しました。大陸的な鷹揚さというか、懐の深さみたいなものと、儒教的な筋の通し方が垣間見えたというか。当たり前のことだけど、「隣同士である」ということがお互いにわかり合えることに直結すると考えるのは大間違いだな、相手と自分の違いのなかにどれだけ良いものを見出して見習っていくかが大事なんじゃないかななどと思ったのでした(と、平凡なおちですみません)。
この日は、友人の結婚式。韓国語が堪能な知人2人と合流して式場へ向かいました。
日本で結婚式といえば最もフォーマルな場のひとつ。新婦である友人から「日本とは全然違いますから」と言い置かれていたのだけど、ほんとにそうでした。
たとえば、
・結婚式には誰が来てもいい。招待状を持っていなくても「友達の友達だから」みたいな関係で出席してもOK。
・ご祝儀なんかもあんまり細かいことは言わない様子。
・時間におおらか(笑)。わたしたちが行ったところは2階が式場で、1階が食事をする場所という建物で、新婦に「式が始まるまで1階でご飯食べてて」と言われてそうしていたら、知らない間に式が始まっていました。
式場もこんなかんじ、開放感あふれまくり(写真は新郎新婦が新婦側の両親に挨拶しているところ。新郎は最も丁寧な挨拶(=跪いて、さらに額を床につける)をしていました)。
親戚縁者は前方の椅子に座っているけど私語が多いし(苦笑)、チャペルを仕切るドアが無いので、いったい誰が、執り行われている式の参列者なのかはっきりしない。後方にいたわたしたちのそばには、明らかに次の式を待ってる風の人たちがうろうろしてました。
新郎新婦はともにクリスチャンなのだけど、韓国式の結婚の儀もやりますというので見に行きました(実は、これが一番の楽しみだった)。
豪華なチマチョゴリに着替えた新婦はとっても美しかったです(手芸バカとしては、チマチョゴリの細かな縫い目や刺繍に目が釘付け)。が、この衣装とカツラがとんでもなく重いらしく、隣にいるおばさんに助けてもらわないと、立ったり座ったりができないとのことでした。
浅学なのでよく分かりませんが、儒教に則った儀式。儒教的に偉い人の順番(=男性の親戚から、年齢の高い順)に、新郎新婦が広げた布に、栗とナツメを放り投げます。栗は男子、ナツメは女子を表していて、子宝に恵まれますように、と祝福しているとのこと。ほかにもお酒(らしきもの)を飲み交わしたり、最後に新郎が新婦をおんぶして歩いたりという場面がありました。
この後、新郎新婦が、日本からの一行をお茶でおもてなししてくださいました。新郎さんにわたしたちの印象を聞いたら、「いつも写真で拝見してたので、テレビの中の人たちと会ってるみたいな、へんなかんじです」と言っていたのがおもしろかった。
ホテルに戻り、夕方から東大門へ。「どこからこんなにたくさんの人が?」と思うくらいの熱気に溢れた通りでした。屋台の(ぱちもん売ってる)お兄ちゃんに「隠してるものあるよ!」と声をかけられて、友達と大爆笑。何隠してるねん~~。
夜は、ちょっと奮発して烏骨鶏の参鶏湯(しかし身が黒いのが、なんとも…。お味も「ほんとはもっと美味しいんだろうな~」というレベルで残念でした。。)。
ソウル3日目。最終日。
Lotte百貨店まで行って、お土産などを調達。お昼はレストランフロアの韓国料理店で。
ソウルで観光客が行くようなところは、必ず日本語を話す人がいるか、日本語表記のメニューや説明書きがあるので(「みそーしる」といった種類の日本語表記はご愛敬)、今回の旅行では、言葉の面で困ることは全くありませんでした。また、治安面も、適度に気をつけている限り、日本とそれほど変わらない印象でした。夜に何度かタクシーを利用したけど、危ないと思うようなこともなかったし。
韓国も経済不況とそれに伴う貧富の差の拡大が社会問題になっていると聞きますが、街を歩いている人の顔が、全般的に、良い。エネルギーに溢れているというか、我慢だったり根性だったりといったものに縛られていない自由さがあるというか(たった3日の滞在なのでどれだけ事実に近いかは怪しいけど。でも、たった3日で日本に帰ってきて、日本の人たちの顔つきの悪さにぞっとしたのは本当)。
それから、観光客を引きつけるためのさまざまな工夫と努力は、すざまじい。ビジネスのためといってしまえばそれまでだけど、不思議なことに「お金のために無理矢理やらされてる感」はあまり感じなかった。なんでだろうなー。
そこから転じて、日本の観光についてもちょっと考えをめぐらしたり。日本では「もっと外国人観光客を!」などと言っているけれど、はたしてあそこまで徹底してできるかと聞かれたら、きわめて難しいだろうと答えざるを得ない。なんだかんだ言って、追い詰められていないというか、「そこまでして…」みたいな変なプライドの高さがあるんだよね、日本(人)ってきっと…。あと、「こちら(日本)が合うと思う方は喜んでお引き受けしますが、そうでない方はご遠慮します」と客を選ぶような姿勢とか。だいたい、観光というのは、おもてなし、という綺麗事で片付けられない部分(ハングリーさとか、したたかさとか)も含んでいると思うので、その辺が格好つけの日本(人)にとってはハードルが高いような気がする(そして、そうも言っていられないことも十分に分かっていて、日本にだって現場で地道な努力をされている方々がいらっしゃるのでしょうけれど)。
本当に短い駆け足の滞在で、現地の人の接触も少ない旅行でしたが、「韓国=お隣の国」というけれど、あちらはやっぱり大陸なんだなあ…と実感しました。大陸的な鷹揚さというか、懐の深さみたいなものと、儒教的な筋の通し方が垣間見えたというか。当たり前のことだけど、「隣同士である」ということがお互いにわかり合えることに直結すると考えるのは大間違いだな、相手と自分の違いのなかにどれだけ良いものを見出して見習っていくかが大事なんじゃないかななどと思ったのでした(と、平凡なおちですみません)。