古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

漱石 二百十日 鍛冶屋の描写

2016-11-15 17:41:03 | 日記

  写真は拾った蹄鉄です。拾った場所は田園風景の中にある小さな神社ですが、神社のことは別の機会に掲載します。ここでは村の鍛冶屋について漱石の「二百十日」の冒頭部を引用して子供時代を懐かしみたいと思います。

 

 

       

       ぶらりと両手を垂げたまま、圭(けい)さんがどこからか帰って来る。

「どこへ行ったね」

「ちょっと、町を歩行(ある)いて来た」

「何か観るものがあるかい」

「寺が一軒あった」

「それから」

「銀杏の樹が一本、門前にあった」

「それから」

「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常

に細長い寺だった」

「這入って見たかい」

「やめて来た」

「そのほかに何もないかね」

「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」

「そうさ、人間の死ぬ所には必ずあるはずじゃないか」

「なるほどそうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心す

る。しばらくして、捻ねった首を真直にして、圭さんがこう云った。

「それから鍛冶屋の前で、馬の沓を替えるところを見て来たが実に巧み

なものだね」

「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長過ぎると思った。馬の沓がそん

なに珍しいかい」

「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具が幾通りあると思う」

「幾通りあるかな」

「あてて見たまえ」

「あてなくっても好いから教えるさ」

「何でも七つばかりある」

「そんなにあるかい。何と何だい」

「何と何だって、たしかにあるんだよ。第一爪をはがす鑿と、鑿を敲く槌

と、それから爪を削る小刀と、爪を刳る妙なものと、それから……」

「それから何があるかい」

「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬のおとなしいに

は驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気でいるぜ」

「爪だもの。人間だって、平気で爪を剪るじゃないか」

「人間はそうだが馬だぜ、君」

「馬だって、人間だって爪に変りはないやね。君はよっぽど呑気だよ」

「呑気だから見ていたのさ。しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗だ

ね。ぴちぴち火花が出る」

「出るさ、東京の真中でも出る」

「東京の真中でも出る事は出るが、感じが違うよ。こう云う山の中の鍛

冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」

初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方へ傾いて、

淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促がすなかに、かあんかあんと

鉄を打つ音がする。