編が改まる毎に一九は書き出しの文章に力を入れます。この三編もなかなか
力の籠もった名文です。短い文章ですから、ここに引用しておきます。
「名にし負ふ遠江灘浪たいらかに、街道のなミ松枝をならさず。往来の旅人互
に道を譲合、泰平をうたふ。つづら馬の小室節ゆたかに、宿場人足其町場を争
ハず。雲助駄賃をゆすらずして、盲人おのづからつづらうまと独行し、女同士の
道連、ぬけ参の童まで盗賊のかどハかしの愁いにあハず。かかる有難き御代に
こそ東西に走り南北に遊行する雲水のたのしミえもいはれず。」
漢土の書物に人々が道を譲り合って通るのは国がよく治まっているからという
のがあり、それを引用してこの国の治まり具合を描写しています。「つづら馬と小
室節」は画像を掲載しました。「宿場人足町場を争ハず」というのは町場の秩序
がよく保たれていて、力のある駕篭かきが客を独占するようなこともなく、現代の
駅前タクシー乗り場のような整然とした秩序が保たれているということです。
それにつけて思い出すのは戦後の混乱期の日本社会は、これとは全く違ってい
て、電車に乗るのでさえ、ホームを走って我先にと座席を争ったものです。また、
駅や郵便局など人だかりの場所では順番を無視した割り込みが横行していまし
た。そういう社会は強者の社会であり、老人や女、子供など弱いものは取り残さ
れてしまうのです。それは統治の行き届かぬ社会なのです。
江戸時代は「前近代」と言われる社会でしたが、よく治まった社会であったこと
がこういう作品からも窺えます。だからこそ300年間もつづいたのですね。
おつづら馬
小室節 歌詞 (ハイ ハイハイ) |
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