文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

昨日、今日と殆どの日本国民は信じ難いほどの幸福感、充実感に満たされてWBCの準決勝、決勝を観ていたはずである。

2023年03月22日 21時54分49秒 | 全般

揚げ句、自分の理解できる範囲を超えた進言や提案には逆ギレし、却下した。
2019年03月10日に発信した章である。
一連の中の一章が、今、リアルタイムトップ10に入っていた。
今日は、予想外の晴天だった。
昨日から今日にかけて殆どの日本国民はWBCの準決勝、決勝に心があったはずである。
皆、信じがたいほどの幸福感、充実感に満たされていたはずである。
 
一連の章を、今日の私の写真と共に、再発信する。
全ての章が日本国民全員が再読の必要がある章である。

読者はご存知のように福島をフクシマにしたのは菅直人であるとインターネットという人類史上最大の図書館に世界で最初に指摘したのは私である。
阿比留瑠偉は伊達に高山正之の後輩ではなく現役記者として日本最高のジャーナリストの一人である。
彼が月刊誌正論今月号に掲載した論文は私の指摘が100%正しかった事を完璧に証明している。
日本国民全員が肝に銘じて読まなければならない論文である。
有数の読書家である友人は、阿比留氏と同様に当時官邸キャップだった各社の記者達は、何故、菅直人の実態を国民に伝えて来なかったのかと、心底、憤慨していた。
私は、この論文を、毎日、発信したいと思っているほどである。

朝日新聞の購読者は、当時、朝日新聞の重鎮だった星浩が何度も菅直人の嫁を称賛する記事…それも大きなスペースで掲載した事を覚えているはずだ。
私は、当時、この星浩は道鏡か!とあきれ果てた。
池江璃花子と同じ大病を患って7ヵ月の入院生活を送っていた私が何度かリフレッシュ退院した時の事である。
私は空海が京都で最初に住まわせられていた寺である神護寺に行った。
屈強な健常人でも、ここの階段は体に応える…私は、「こんな酷い道を歩かせて拝観料を取るというのか…エレベーターを作れ」と、同行者に怒った程だったが、何度も訪問している内に流石に空海ゆかりの寺と逆に感じ入るようになった。
観光客は殆ど行かない裏山に行くようになった…何故なら、そこには和気清麻呂の墓があるからである…神護寺は実は和気清麻呂の寺だったのである。
ある日、彼の墓の前で彼の冥福と彼に対する感謝を合掌していた時の事である…何者かの気配を感じて振り返った私は驚いた。
そこに見事な姿態の鹿がいて、私をじっと見ていたからである。
私が「おお、(お前は和気清麻呂)」と、歩を運んだら、彼は、大変な急斜面を、あっという間に駆け抜けて行った。
私、阿比留瑠偉、高山正之は、日本国にとって、今を生きる和気清麻呂である。

無能な政権が招いた大震災
~立憲民主党は菅内閣の亡霊である
「民主党政権時代の最大の苦しみ、そして申し訳なかったと思うことは原発事故ですよ。もっとうまく対応できなかったか。私たち反省がありますよ。だけど同時に、その前の自民党政権も責任あるんじゃないですか」 
立憲民主党会派の岡田克也元副総理は2月12日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相がそれに先立つ自民党大会で「悪夢のような民主党政権」と形容したことにかみつき、こう反論していた。 
平成23年3月11日の東日本大震災発生時、岡田氏は民主党幹事長たった。
その当時を振り返り、足らざる点があったことを認めたのはいい。
だが、これではまだまだ反省が不十分である。 
筆者は震災発生時、産経新聞の首相官邸キャップを務めており、官邸に常駐していた。
そこで自ら目撃し、取材し、あるいは同僚記者らから報告を受けた菅内閣の震災対応は、まさに「悪夢」そのものだったからである。

他人を信じず逆ギレ 

あまり思い出したい過去ではないが、国家の指導者を選び損ねるとんでもない目に遭うという教訓として、当時を振り返りたい。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災という戦後最大の国難にあたって、菅直人氏は物事の軽重も優先順位も理解せず、猜疑心の塊となって部下の官僚を信用せず、人気取りのパフォーマンスを繰り返し、うろたえて涙ぐみながら周囲に当たり散らしていた。 
日本の最高責任者が機能しないどころか、復旧・復興の邪魔となり、与野党が協力して国難に立ち向かう障害となっていたのだから、これを「悪夢」と言わず何と言うのか。 
あの頃、首相秘書官の一人が、悄然としてこう語るのを聞いた。 
「普通はこんな大災害が起きると、首相と秘書官らは一心同体となるものだけど、逆に震災発生後に首相と秘書官の距離が余計に離れていった」 
実際、菅氏があまりに無意味に怒鳴り散らすため、秘書官らは互いにすれ違う際などに放射線被曝をもじって、こんなことをささやき合っていたという。 
「きょうは、40ミリ菅シーベルト被曝したよ」 
菅氏は他人を信じず、東電福島第一原発事故の対策については専門的な問題や技術的な細部まで全てに口出しした。
揚げ句、自分の理解できる範囲を超えた進言や提案には逆ギレし、却下した。
この稿続く。


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