以下は月刊誌Hanada今月号に、思考停止で緊急事態宣言を求める日本社会こそ緊急事態、と題して掲載された藤原かずえさんのp78~p90に渡る論文からである。
彼女もまた、最澄が定義した「国宝」である。
読者は御存知の様に、登場して以来の彼女の活躍は目覚ましい。
一つ一つの具体的な事例を持って真実を解明する彼女の手法は斬新であるだけではない。
彼女が明らかにしてくれるメディアの態様の酷さ、愚劣さ、卑劣さには、戦慄すら覚えるはずである。
特に日本のテレビメディアは亡国の徒の道を邁進している。
信じがたい低能が支配しているのである。
似非モラリズムと言う名の低能が日本のテレビメディアを覆っている現状を糺さない限り、日本は危うい。
見出し以外の文中強調は私。
リベラルが求めた緊急事態
2021年1月7日、菅義偉首相が[緊急事態宣言state of emergency]を発出し、日本は再び政府が国民に対して自粛を促すステージに突入しました。
本稿においては、緊急事態宣言をヒステリックに政治に求めた日本社会の構造を検証したうえで、日本における緊急事態宣言とは何なのか、日本に緊急事態宣言は必要なのか、緊急事態宣言で感染を抑えら
れるのかといった論点について議論したいと思います。
コロナ禍が始まった2020年から2021年に変わる年末年始の日本においては、緊急事態宣言の発出に慎重な政府に、緊急事態宣言で【私権private rights】が制限される側にいる国民の一部が発出を強く求めるという状況が発生しました。
この全体主義的な私権制限策を積極的に主張していたのは、私権制限とは本来対極にあるはずの【リベラル=自由主義 Liberalism】を標榜する野党系政治家・マスメディア・文化人などです。
モンスタークレーマーと化した彼らは、コロナの感染を拡げている「隔離すべき国民」が存在することを前提にして、政府がその私権制限を行うようヒステリックに求めたのです。
テレビのワイドショーは、次々と「隔離すべき国民」をステレオタイプ化して問題視しました。
渋谷のスクランブル交差点の通行人・GoToキャンペーン参加者・商店街や百貨店の買い物客・レストランの会食客・満員電車の通勤客・年末年始の帰省者・初詣の参拝者・箱根駅伝沿道の観客・ディズニーランド入場者・鎌倉の行楽客などをターゲットにして、全体主義国家の警察さながらの監視を徹底的に行うことで、これらの行動を強く問題視する世論を醸成したのです。
実際にJNNやANNといったテレビのニュースネットワークは、渋谷のスクランブル交差点にライヴカメラを設置して通行人を監視、ライヴ映像をYouTubeで配信しています。
日本はすでに、マスメディアによる【監視社会mass surveilance】になっています。
私権制限を求める「リベラル標榜者」の動きに刺激されたSNSのゼロリスク信奉者は、「尾張守」(=「日本はもう終わり」と叫んで政府や社会に当たり散らす過激な悲観論者を指すネットスラング)と化して【集団ヒステリーmass hysteria】を起こしています。
彼らはコロナ禍を悲観する『Yahoo!ニュース』記事のコメント欄(通称「ヤフコメ」に殺到し、根拠薄弱に政府や「隔離すべき国民」に対して好き放題の罵詈雑言を浴びせます。
このようにしてコメントが多くなった記事はポータルサイト『Tahoo!Japan』のメインのヘッダーにリストアップされ、さらにはTwitterのトレンドとなって国民の大きな注目を集めるのです。
テレビのワイドショーの煽動コメンテーターはもとより、このようなヤフコメ「尾張守」の強い同調圧力を受けた国民は、あたかも緊急事態宣言が必要不可欠であり、緊急事態宣言を出さない政府は無能な存在であるかのように【マインド・コントロール mind control】されていきます。
ここに至って政権支持率が低下し、政権は社会の混乱を避けるために、やむを得ず緊急事態宣言を出さなければならない状況が形成されたのです。
1月7日、経済に大きな打撃を与える緊急事態宣言に慎重だった菅政権は、翌日から緊急事態宣言を発出を発表しました。
安倍前政権がコロナの流行で政権支持率を落として緊急事態宣言の発出に追い込まれたのも、基本的にこのメカニズムによります。
「掌返し報道」を乱発
当然のことながら、新型コロナウイルスの感染によって失われる人命も、新型コロナの感染対策で悪化する経済によって失われる人命も、同じ人命であることには変わりありません。
緊急事態宣言という行動制限を伴う感染対策が行われれば、感染死の減少が期待される一方、経済が打撃を受けて自殺者などの経済死が増加する可能性が危惧されます。
逆に感染対策が行われなければ、経済は経済死をもたらす打撃を直接受けませんが、感染死が増加する可能性が危惧されます。
このように【リスク risk】の観点から見れば、感染死リスクと経済死リスクは[二律背反 trade-off】であり、この二つのリスクを低減する最適な【リスク対応risk treatment】を行うことが重要です。
しかしながら、日本では常に目に見えやすい小さなリスクのみが注目され、目に見えにくい大きなリスクが無視されます。
たとえば、原発に関しては十万年に一度動く断層の活動リスクは大いに重要視されますが、原発停止による経済損失リスクや電力供給逼迫リスクは無視されます。
また、豊洲市場の地下に一部存在する微量なベンゼンが地下水制御システムを通過して出てくるというリスク(自動車の排気ガスの被曝リスクよりも十分に小さい)は重要視されますが、豊洲市場停止に伴う損失リスクは無視されます。
そして今回も、緊急事態宣言に伴う大きな損失リスクは無視され、日本社会は猪突猛進に緊急事態宣言へと向かっていったのです。
さらに悪質なのは、政権批判のみを目的とする「掌返し報道」が乱発されていることです。
コロナ感染の恐怖を煽って緊急事態宣言を迫っていたマスメディアが、ひとたび緊急事態宣言が発出されると、今度は「緊急事態宣言の影響で……不安続々」(TBS)といったように、それまで全く無視されていた国民の収入減や飲食業の危機の報道を突然一斉に始めて、弱者の味方のフリをするのです。
結局、このような掌返し報道により、政権は緊急事態宣言を出さないと「緊急事態宣言が遅い」と批判され、緊急事態宣言を出すと「緊急事態宣言で弱者が疲弊する」と批判されることになります。
政権憎しで詭弁記事
この稿続く。