以下は前章の続きである。
この番組の骨格をなしているのが、「「バロフスク裁判の音声記録」である。
同裁判における法廷でのやりとりを録音した磁気テープが、モスクワの「ロシア国立音声記録アーカイブ」で新たに発見されたというところから、この番組は始まる。
731部隊に所属していた人々の多くは、ソ連軍の満州侵攻によって捕虜となり、シベリアに強制連行された。
いわゆる「シベリア抑留」である。
その後、彼らは通称「ハバロフスク裁判」によって、戦争犯罪人として訴追されることになる。
裁判の期間は1949年12月25日から30日までの6日間。
戦勝国であるソ連が主導した軍事裁判である。
この法廷では、日本のソ連に対する軍事行動が幅広く断罪の対象となったが、そのなかで731部隊も扱われたのであった。
今回、モスクワで見つかったというこの磁気テープには、731部隊や関東車の幹部であった者たちの証言がたしかに録音されている。これまで同裁判の詳細は不明な点が多かったから、その内容が判明したという意味において、この発見が貴重なものであることは間違いない。
音声記録のなかにあったのは、「びらんガスを人体実験に使用した」「乳飲み子のいるロシア人女性を細菌に感染させた」「中国の軍隊に対して細菌武器を使用した」といった肉声の数々であった。
問題となるのは、その内容をどう解釈するかである。
ソ連による思想教育
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。
いわゆる「赤い引揚者」である。
長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。
昭和史の哀しき逸話である。
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。
いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。
法廷に自由な言論などあったはずがない。
これは極めて重要な歴史的側面である。
この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。
これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。
この稿続く。