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関ヶ原での生駒氏は?-1-

2012-08-07 06:29:13 | 郷土の歴史
このブログは、社会科関係記事のターゲットを、中学生とその保護者、社会科教員に置いています。
 そして、作者は愛知県江南市在住です。

 中学生を意識しているために、詳細に踏み込んでいないこと、そして、どうしても、ローカルネタが多くなることをお許しください。

 江南市の歴史を語る上では、生駒氏は外せません。
 先日の市内巡りを見ても、生駒氏の存在の大きさが分かります。

 また、過去に関ヶ原の戦いシリーズを18回にわたって連載しました。
 
 でも、まてよ?関ヶ原の戦いにおける生駒氏を取り上げていないのでは?

 そうなんです。

 自分でも、まだよく分からず、自信がないのです。不確定な情報も取り混ぜながら進めますので、ご了承ください。

 まずは、基本的な知識から…。


 生駒氏は、藤原氏の末裔で、応仁の乱を避けて奈良の生駒から江南の地に移り住んだのが発祥です。

 馬借として商い、財産を蓄え、織田信長にもかわいがられました。織田氏家臣として、織田家の統一・天下統一に向けた戦国時代はもとより、織豊時代から江戸時代以後まで主君を支えた一族です。

 織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫(見星院)を産んだ吉乃は生駒家宗の娘です。

 
では、その生駒氏は、関ヶ原でどのような働きをしたのでしょうか?

 生駒氏は、吉乃の祖父、豊政の代に分家ができます。

 豊政の妹が嫁いだ土田家(信長の母・土田御前の実家)の子を養子に迎え、生駒姓を与えたのです。土田家は、かねてから縁戚関係にありました。

 当然ながら、信長・秀吉に重んじられ、讃岐国6万石余りを得て、丸亀城に移り讃岐生駒家となります。尾張生駒家を遙かにしのぐ石高ですね。

 さて、関ヶ原。尾張生駒家と、讃岐生駒家に分けて考えましょう。

 今日は、尾張生駒氏について。

 江南市のHPに次のようにあります。
 http://www.city.konan.lg.jp/syogai/ikoma_7.html 
---------以下引用-------
 
 今回は、関ヶ原の戦いで活躍をした「第5代 生駒利豊」にスポットをあて、その業績をたどっていきます。
 主な内容としては、宗直(5代利豊)を「従五位下」「隼人正」に任じたことを示す口宣案、秀吉・松平忠吉・徳川義直からの知行を示す朱印状・黒印状、故因州殿岐阜并関原おゐて御手柄書・露月殿御自筆、生駒利豊和歌集に加え、利豊が関ヶ原の戦いで使用した鑓や晩年愛用した竹杖なども展示します。

---------引用終わり------

 利豊は、関ヶ原で活躍していたのでした。

 では、その内容は・・・・  続きます。

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