叩<たた>かれても子は親を慕う
https://www.city.tokai.aichi.jp/bunka/1002738/1002753/1000015/1004494/1004502/1004687/1004705.html
この文章は、細井平洲先生が講釈の中で語った、幼児が親への愛情を示すエピソードを例に、人間の持つ「まことの心」について解説しています。母親がトイレに行った際に、幼児が母親に会いたくて泣き、母親が戻ってくると喜び泣きする様子を通して、親子の愛情という普遍的なテーマが描かれ、それが「まことの心」の表現であるとされています。平洲先生は、このような身近な事例を通して、人間が本来持っている「まことの心」が大切であることを説き、世の中に悪人は存在しないという考え方を示唆しています。
子の親への慕情:細井平洲先生講釈聞書より
復習のための問題
以下の問いに短文(2-3文程度)で答えなさい。
- 幼児はおばあちゃんに抱かれると、なぜ泣き出すのでしょうか。
- 母親はトイレから戻ると、幼児にどのような言葉をかけますか。
- 幼児は母親に叩かれても、なぜ母親の胸に飛び込むのでしょうか。
- おばあちゃんは幼児の行動を見て、何をしみじみと感じますか。
- 平洲先生は親が子をかわいがる心と子が親を慕う心を何と言っていますか。
- 平洲先生は「まことの心」を持つことで、どうなる、と説いていますか。
- 平洲先生の講釈の特徴として、どのような点が挙げられますか。
- 平洲先生の講釈が人々に広く受け入れられた理由は何だと考えられますか。
- この文章から、当時の家族関係についてどのようなことが読み取れますか。
- この文章で描かれている親子の情愛は、現代社会においても重要なものと言えるでしょうか。理由も述べてください。
問題の解答
- 幼児はおばあちゃんではなく、母親に抱っこされたいという強い気持ちから泣き出します。これは、まだ幼い子供が母親に対して絶対的な安心感と愛情を抱いているためです。
- 母親は幼児に対し、「どうしてそんなにききわけがわるいの? こんなちょっとあいだもガマンできなければ、お母さんはおシッコにもいけないよ!」と叱責します。
- 幼児にとって母親は、たとえ叱られても、最も安心できる存在だからです。母親に抱かれることで、安心感と愛情を再確認し、喜びを感じます。
- おばあちゃんは、幼児が母親に叩かれてもなお、母親を求める姿を見て、子の親への深い愛情をしみじみと感じます。
- 平洲先生は、親が子をかわいがる心と子が親を慕う心の両方を「まことの心」と呼んでいます。
- 平洲先生は、この「まことの心」をみんなが持てば、世の中に悪人はいなくなると説いています。
- 平洲先生の講釈は、日常生活で誰もが経験するような身近で分かりやすい例を題材としている点が特徴です。
- 平洲先生の講釈は、難しい理屈ではなく、誰もが共感できる親子の愛情をテーマにしていたため、人々に広く受け入れられたと考えられます。
- 当時の家族は、祖父母、両親、子供という三世代が同居する形態が一般的であったことが読み取れます。また、子育てにおいては、体罰も容認されていたことが分かります。
- 現代社会においても、親子の情愛は人間関係の基盤となる重要なものです。しかし、体罰は子供の心を傷つける可能性があり、時代や社会状況に合わせて適切な方法で愛情を伝えることが大切です。
論文形式の練習問題
以下のテーマについて、論文形式で論じてみましょう。
- 細井平洲の教育思想における「まことの心」の概念とその現代社会における意義について考察せよ。
- 本文で描かれている親子の情愛と、現代社会における親子の関係の変化について比較分析せよ。
- 平洲の講釈に見られるような、身近な例を用いた道徳教育の有効性と限界について論述せよ。
- 子の親への慕情は、人間の本能的な欲求と言えるか。心理学や社会学の観点から考察せよ。
- 人間の「まことの心」を育むためには、社会全体でどのような取り組みが必要か、具体的な例を挙げながら論じよ。
用語集
用語定義細井平洲江戸時代中期の儒学者、思想家。米沢藩藩主上杉鷹山の師として知られる。質素倹約を旨とする「伝国の辞」を鷹山に授けた。講釈聞書講釈の内容を筆記した記録。ナイーブ純真で飾り気がないこと。まことの心平洲が説いた、偽りのない真心のこと。親が子をかわいがる心と子が親を慕う心の両方を指す。ダダをこねる子供が自分の要求を通そうとして、泣き叫んだり、地団駄を踏んだりする様子。しみじみ心の底から深く感じるさま。スタディ英語で「研究」の意味。ここでは、平洲が身近な例を題材に考察を深めていたことを示す。身ぢか身近なこと。ゆえん理由、わけ。