DeAGOSTINI のDVDオペラコレクション13号は「トスカ」。
トスカといえばプッチーニ。プッチーニといえば夏目漱石。
なぜかって?
私は以前、プッチーニを、夏目漱石と間違えてしまったのです。
次の写真を見てください。似ていませんか?
プッチーニは1858年12月22日~ 1924年11月29日
夏目漱石は1867年2月9日~1916年12月9日
プッチーニの人生に夏目漱石はかぶっています。たまたまですが・・・
こうやって見ると、違うかな・・・。
プッチーニの代表作は
『マノン・レスコー』1893年
『ラ・ボエーム』 1896年
『トスカ』 1900年
『蝶々夫人』 1904年
『トゥーランドット』1926年
フィギアスケートで使われる曲が多いと思いませんか?
プッチーニは、それだけドラマチックな曲が多いのです。
今回の歌劇「トスカ」の舞台は100年前のローマ、ナポレオンの時代で、政治的で血生臭い内容です。
そのため、音楽はさらにドラマティックです。
あらすじは次のとおりです。
歌手トスカと画家カヴァラドッシは愛し合っていますが、脱獄してきた政治犯の友人アンジェロティをかくまったことから逆に捕らえられます。
トスカは警視総監スカルピア男爵にカヴァラドッシの助命を求めます。
スカルピアはその代わりトスカに自分のものになれと身体を求めるのです。
トスカはカヴァラドッシ釈放の書類を手にしてからスカルピアに身を任せるふりをして「これがトスカの接吻よ」とナイフで殺害します。
カヴァラドッシの銃殺刑は形式上のものとして空砲で行なわれるはずだったのですが、処刑は実際に行なわれてしまいます。
絶望したトスカはサンタンジェロ城から飛び降り、自ら命を絶つのです。
微妙な行き違いが、悲劇を生んだのです。
逸話によると、最後の飛び降り自殺の場は、下に置いたトランポリンで戻ってきてしまうという、三谷幸喜の映画「マジック・アワー」のネタにもなりそうな話もあったそうです。
ここでは指揮者シノーポリの話をしましょう。
ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、私の大好きなイタリアの指揮者・作曲家です。
イタリアのヴェネツィアで生まれ、パドヴァ大学で精神医学を学ぶと同時にマルチェルロ音楽院で作曲を専攻します。
というより、精神科医が指揮者になったのです。
以前、ベームは法律家が指揮をしたと書きましたが、同様です。
そのせいでしょうか。
マーラーのような「感情のうねり」を絶妙に表現します。
私は、シノーポリ指揮のマーラーの「復活」は、いつも車に積んでいます。
あまりにも「ミクロ的」な解釈は賛否両論ありますが、他では味わえない世界です。
その彼も2001年4月20日、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの歌劇「アイーダ」を指揮中、第3幕の所で心筋梗塞で倒れなくなりました。まだ55歳でした。
彼の功績は、何と言ってもウィーン・フィルとの鮮烈なシューマン交響曲第2番。
それまでの演奏と全く別の曲に聞こえます。
シューマン自身が、「私はこの曲をまだ半分病気のときにスケッチした。」と言っていますが、曲の中の異常性をシノーポリが精神医学者として分析し、錯綜と不安を浮き彫りにします。特に第3楽章は衝撃的でした。
その後ドレスデンシュターツカペレシューマンの交響曲全集を完成しました。
マーラーの交響曲全集と並ぶ傑作です。
シノーポリについては、また後日続けます。
このDVDは、舞台装置の豪華さも見物です。
ぜひご覧ください。
トスカといえばプッチーニ。プッチーニといえば夏目漱石。
なぜかって?
私は以前、プッチーニを、夏目漱石と間違えてしまったのです。
次の写真を見てください。似ていませんか?
プッチーニは1858年12月22日~ 1924年11月29日
夏目漱石は1867年2月9日~1916年12月9日
プッチーニの人生に夏目漱石はかぶっています。たまたまですが・・・
こうやって見ると、違うかな・・・。
プッチーニの代表作は
『マノン・レスコー』1893年
『ラ・ボエーム』 1896年
『トスカ』 1900年
『蝶々夫人』 1904年
『トゥーランドット』1926年
フィギアスケートで使われる曲が多いと思いませんか?
プッチーニは、それだけドラマチックな曲が多いのです。
今回の歌劇「トスカ」の舞台は100年前のローマ、ナポレオンの時代で、政治的で血生臭い内容です。
そのため、音楽はさらにドラマティックです。
あらすじは次のとおりです。
歌手トスカと画家カヴァラドッシは愛し合っていますが、脱獄してきた政治犯の友人アンジェロティをかくまったことから逆に捕らえられます。
トスカは警視総監スカルピア男爵にカヴァラドッシの助命を求めます。
スカルピアはその代わりトスカに自分のものになれと身体を求めるのです。
トスカはカヴァラドッシ釈放の書類を手にしてからスカルピアに身を任せるふりをして「これがトスカの接吻よ」とナイフで殺害します。
カヴァラドッシの銃殺刑は形式上のものとして空砲で行なわれるはずだったのですが、処刑は実際に行なわれてしまいます。
絶望したトスカはサンタンジェロ城から飛び降り、自ら命を絶つのです。
微妙な行き違いが、悲劇を生んだのです。
逸話によると、最後の飛び降り自殺の場は、下に置いたトランポリンで戻ってきてしまうという、三谷幸喜の映画「マジック・アワー」のネタにもなりそうな話もあったそうです。
ここでは指揮者シノーポリの話をしましょう。
ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、私の大好きなイタリアの指揮者・作曲家です。
イタリアのヴェネツィアで生まれ、パドヴァ大学で精神医学を学ぶと同時にマルチェルロ音楽院で作曲を専攻します。
というより、精神科医が指揮者になったのです。
以前、ベームは法律家が指揮をしたと書きましたが、同様です。
そのせいでしょうか。
マーラーのような「感情のうねり」を絶妙に表現します。
私は、シノーポリ指揮のマーラーの「復活」は、いつも車に積んでいます。
あまりにも「ミクロ的」な解釈は賛否両論ありますが、他では味わえない世界です。
その彼も2001年4月20日、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの歌劇「アイーダ」を指揮中、第3幕の所で心筋梗塞で倒れなくなりました。まだ55歳でした。
彼の功績は、何と言ってもウィーン・フィルとの鮮烈なシューマン交響曲第2番。
それまでの演奏と全く別の曲に聞こえます。
シューマン自身が、「私はこの曲をまだ半分病気のときにスケッチした。」と言っていますが、曲の中の異常性をシノーポリが精神医学者として分析し、錯綜と不安を浮き彫りにします。特に第3楽章は衝撃的でした。
その後ドレスデンシュターツカペレシューマンの交響曲全集を完成しました。
マーラーの交響曲全集と並ぶ傑作です。
シノーポリについては、また後日続けます。
このDVDは、舞台装置の豪華さも見物です。
ぜひご覧ください。