あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

昨日の中日春秋

2015-03-08 05:39:35 | 社説を読む
昨日の中日春秋を紹介します。

十一歳の老犬ハチ公が渋谷駅近くの路上で息絶えたのは、八十年前の三月八日朝のことだった。この前年に駅前に銅像が建てられ、政府が小学校の道徳教育にも取り上げていた「忠犬」の死を多くの人が悼んだ

▼だが、ハチ公はそれからずっと銅像となって座り続けたわけではない。死後九年がたった一九四四年にはまた、お別れの会が開かれた

▼戦争による物資不足で国民に金属供出が求められ、ハチ公像も「出征」することになった。「忠犬」は、戦争へと進む時代の一つの象徴にされたのだ(飯田操著『忠犬はいかに生まれるか』世界思想社)

▼ハチ公像は溶かされ、東海道線を走る機関車の部品になったそうだ。忠犬死して鉄路を走る羽目になったわけだが、これはまだ幸せだったようだ。もしハチ公の飼い主だった東京大学の上野英三郎博士が長生きしていたら、より悲劇的な愛犬との別れが待っていたかもしれない

▼戦争末期には、「畜犬献納運動」と称して家庭の犬もお国のために供出され、皮は兵士の防寒具に使われた。ハチ公は戦後再び銅像となって渋谷に戻ることができたが、無数の犬が当時の国民と同じように、戦争の闇へと消えていったのだ

▼あす、東京大学で新たなハチ公像が除幕される。愛する主人にハチ公が無邪気に飛び付き、博士がしかと抱きとめる。そんな穏やかな日々の喜びを象徴する銅像だ。


戦時中には、強制的に金属類を拠出させられたことは有名です。

しかし、「畜犬献納運動」は知りませんでした。

ネット上には次のようにありました。

昭和19年12月17日の朝日新聞の記事「畜犬の”献納運動” 各地で買上げも行ふ」が掲載されていた。軍需省と厚生省の連盟で各地方長官へ通達が出され、

軍用犬・警察犬・天然記念物指定犬種と登録した猟犬以外はすべて供出の対象としたので、愛犬家はパニックに陥ったが行政には勝てず、泣く泣く犬を差し出した。そんなわけで、戦争が終わって気づくと、残されたのはシェパード犬(S犬)と日本犬だけだった。

須田一郎「かつての人気犬種今昔」(『愛犬の友』2009年1月号、誠文堂新光社) p.39


八王子市の「犬の献納運動」隣組回覧板の文面も強烈だった。有無を言わせぬ強制力感じた。大きな文字で”隣組回報 犬の献納運動”と書かれ、以下の文章が続いている。

私達は、勝つために犬の特別攻撃隊を作って敵に体當たりさせて立派な忠犬にしてやりませう。
決戦下、犬は重要な軍需品として
立派な御役に立ちます
また狂犬病の豫病の一助としても
何が何でも
皆さんの犬をお國へ
献納してください


 出典 http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20090923/p1

末期的な状況であることは誰にもわかります。やはり戦争はしていけません。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。