池上彰と学ぶ日本の総理 16 山県有朋
山県有朋といえば、長州出身の藩閥政治家で、自由民権運動嫌いで知られています。
池上流3つのポイントでは、
1 国軍の父・軍閥の祖
2 藩閥政治家
3 死ぬまで元老のトップ
この時代の人には珍しく、83歳まで生き、最後まで影響力を保っていました。
日本の強兵政策を推進した立て役者といえます。
本誌の内容です。
[特集情報]
16号 山県有朋 第3・9代内閣総理大臣 長州藩士、陸軍軍人、政治家
[出版社情報]
【16号】
*山県有朋
陸軍の父 いちど部下にしたら見捨てない。
◆山県有朋総理誕生
◆プロフィール 山県有朋
◆人物伝 総理への道
「一介の武弁」から政治の舞台へ 現役軍人のまま総理に就任
◆大仕事 大一番
初の総選挙と帝国議会―議会政治の幕開けを指揮
◆交友交際図
◆追跡!総理1210日
◆池上彰の5分でわかる政策
「府県制・郡制」
◆宿敵 原敬
◆写真で見る世相 明治32年~(1899~)
恵比寿ビヤホール開店
◆男の引き際
晩年まで元老として君臨
◆リーダーの魅力
山県有朋の名言・揮毫・人間力
◆派閥人脈
山形閥に連なる人々
◆ファーストレディ秘話
山県友子
◆多芸余話 趣味と逸話で知る、総理の横顔
◆連載 総理の秘密 池上彰
総理を守るSP
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
山県有朋
[生]天保9(1838).4.22. 長門,萩
[没]1922.2.1. 東京
政治家,軍人,萩藩卒。伊藤博文と並ぶ長州閥の代表的な政治家の一人。長州藩の下級武士の家に生れた。安政5 (1858) 年頃から尊王攘夷運動に参加,松下村塾に学び,のちに奇兵隊軍監となった。
明治新政府のもとでヨーロッパ視察に派遣され,帰国後兵部少輔に任ぜられて軍制確立に尽力。
明治5 (72) 年陸軍大輔,1873年陸軍卿になり,この間徴兵令の制定,士族,農民反乱の鎮圧,軍人勅諭の発布などに指導的役割を果し,日清,日露両戦争では陸軍の最高指導者として活躍。
一方,政界では,内閣総理大臣として 89年第1次山県有朋内閣を組閣し,教育勅語の発布を進め,96年には全権大使としてモスクワで山県=ロバノフ協定を締結。
98年の第2次内閣組閣後は,藩閥政治の維持のため政党勢力を抑圧,軍部大臣現役武官制の公布,文官任用令改正などで,軍部,官僚の指導権確立に努めた。第2次山県有朋内閣の崩壊後も元老として内閣の人事,行政に干渉し,権力をふるったが,1921年皇太子妃選定問題で政治的失策をおかし,政治生命を失った。