愛知教育大学附属名古屋小学校で行われた第58回小学校教育研究発表協議会の記念講演、『龍馬伝』の脚本家 福田 靖さんのお話の概要を紹介しています。
その第2回
これ以後の記録は、筆者のメモを主観を交えて脚色?を加えたもので
す。内容に関して、福田氏、並びに附属小学校には一切の責任はありません。
「これまで逃げていたんじゃない。探していたんだ!」
この台詞は、その後、映画で使った。
その後、アルバイトで食いつないでいきながら、芝居をやった。ウェイター、弁当配達、力仕事、何でもやった。
だいたい1ヶ月前からバイトをやめて稽古に入り本番、またバイトという生活。極貧生活で四畳半暮らしだが、全然苦でなくへっちゃらだった。
しかし30歳近くなって、気づいたことがあった。
「客が増えない・・・」
同じ頃初めたのに、すでにビッグになった劇団もあった。
8年近くなってやっと気づいたのだ。自分に才能がないということを・・。
テレビと違って、演劇はそれなりのものがないとダメ。受け身のテレビと違い、客はお金を払って、わざわざ出向いて来る。何か新しいものを期待している。
それなりのものがないとダメ。
ぼくには、つかこうへいのようは発想がない。
親に、「芝居をやると言ったときにどうして止めてくれなかったんだ」と文句を言った。
すると親は、「いろんな占い師に聞いたら、みんな大器晩成だといったから。」(笑)
33歳で劇団を解散した。
どうしようと言うときに、ぼくの芝居を見て「この人はテレビ向き」と言っていた人がいた。その人は、ぼくに「脚本を書いてみませんか?」と言うこともなく、思っただけで帰ったそうだ。(笑)
知り合いが六本木でテレビ関係者と飲んでいるときに、「おもしろい人がいる」とぼくのことが話題になった。知り合いは「その人のこと知っている」ということになり、会いに行った。「いっしょに仕事をしましょう」と言われたが、それっきり。(笑)
ここで奇跡が起きた。
『BLACK OUT』の脚本を頼まれた。おそらくみんなに断られ、10何人目なのだろう。
あらすじを書き、第1話のドラマを書いた。
そうしたらお金がもらえた。芝居ではもらえないので、感動した。初めて社会の一員になれた感じがした。
これ以後は常にピンチヒッター。誰かが体調を崩すとかの時に脚本を頼まれた。
はじめ(第1話)から読んで書くというのを繰り返した。
ぼくは芝居よりテレビが合っていると思った。テレビは普通の人が見る。
自分は、普通の家に生まれ普通に育った普通の人だから、目線はテレビと同じ。
チャンスがやってきた。ピンチヒッターを5,6年やって、『HERO』を頼まれた。2話から書き、メインライターになった。
ここまでで大事なことは、夢を叶えたのではないことだ。好きな仕事ではない。
脚本を書くのはとても苦しい。一番苦しい作業を仕事にしたということだ。
「夢を追う」というが、ぼくは苦い気持ちになる。
「そんなにうまくいくか」と思ってしまう。夢を追うのは、リスクがあるのだ。
芝居に夢を持っていた仲間のほとんどは、うまくいっていない。
自分の周りには、自分を生かし、お金になり、社会の役に立つものに出会ってきた。
脚本家が最後のチャンスだった。
ぼくには才能はない。
「自分が嫌いくらいでちょうどいい。」と、タイムマシンで過去の自分に戻っていってやりたい。
脚本を書くというのは、その時その時にもがき苦しんだ。死ぬかと思った時もある。
「海猿」の話が来たときに、「海上保安官?おもしろいわけがない。」と思った。
だから、どうしたらおもしろくなるかと考える。
ガリレオもそう。日本版ERも。どうしたらおもしろくなるか?
そこで何とかなったら自信になる。
そんなときにNHKから大河ドラマの話が来た。48話だ。びっくりした。
とても無理だ、第一、ぼくは大河ドラマをこれまでに見たことがない。
「大河ドラマを見たことがないぼくでもいいでしょうか?」といったら、さすがにギョッ!とされた。
でも、プロデューサーは、「新しいドラマをつくってほしい」といわれた。
ぼくは「エンタテイメントをやりたい」といったら、「いいですよ」といわれた。
そして、「描いてみたい人、この中にいる?」と、ずらりと20人ぐらいの名前が並んでいた。
「一人もいません」と答えた。
「卑弥呼」「聖徳太子」あとは知らない人ばかり。せいぜい「平清盛」
「これらの人は、これまでに扱ったことのない人です。」といわれた。要するに、残り物なのだ。
「無名でもいいのです。直江兼続知っていました? 篤姫は?」といわれた。
「幕末ものはダメです。坂の上の雲を3年がかりでやるから。、戦国もダメ。続いたから。」
となると「清盛」だが、イメージがわかない。おもしろいとは思えない。
(今年の大河の「江」、そして来年予定の「清盛」。あのリストを見せられたんだ・・・・)
ところが「坂本龍馬は?現場がやりたいといえば通るかもしれない。」と提案された。
「エッ!坂本龍馬いいの?はやく言ってよ。」坂本龍馬といえば、歴史上のスター。人気ナンバーワンだ。
しかし、断られた。
明日に続きます。
その第2回
これ以後の記録は、筆者のメモを主観を交えて脚色?を加えたもので
す。内容に関して、福田氏、並びに附属小学校には一切の責任はありません。
「これまで逃げていたんじゃない。探していたんだ!」
この台詞は、その後、映画で使った。
その後、アルバイトで食いつないでいきながら、芝居をやった。ウェイター、弁当配達、力仕事、何でもやった。
だいたい1ヶ月前からバイトをやめて稽古に入り本番、またバイトという生活。極貧生活で四畳半暮らしだが、全然苦でなくへっちゃらだった。
しかし30歳近くなって、気づいたことがあった。
「客が増えない・・・」
同じ頃初めたのに、すでにビッグになった劇団もあった。
8年近くなってやっと気づいたのだ。自分に才能がないということを・・。
テレビと違って、演劇はそれなりのものがないとダメ。受け身のテレビと違い、客はお金を払って、わざわざ出向いて来る。何か新しいものを期待している。
それなりのものがないとダメ。
ぼくには、つかこうへいのようは発想がない。
親に、「芝居をやると言ったときにどうして止めてくれなかったんだ」と文句を言った。
すると親は、「いろんな占い師に聞いたら、みんな大器晩成だといったから。」(笑)
33歳で劇団を解散した。
どうしようと言うときに、ぼくの芝居を見て「この人はテレビ向き」と言っていた人がいた。その人は、ぼくに「脚本を書いてみませんか?」と言うこともなく、思っただけで帰ったそうだ。(笑)
知り合いが六本木でテレビ関係者と飲んでいるときに、「おもしろい人がいる」とぼくのことが話題になった。知り合いは「その人のこと知っている」ということになり、会いに行った。「いっしょに仕事をしましょう」と言われたが、それっきり。(笑)
ここで奇跡が起きた。
『BLACK OUT』の脚本を頼まれた。おそらくみんなに断られ、10何人目なのだろう。
あらすじを書き、第1話のドラマを書いた。
そうしたらお金がもらえた。芝居ではもらえないので、感動した。初めて社会の一員になれた感じがした。
これ以後は常にピンチヒッター。誰かが体調を崩すとかの時に脚本を頼まれた。
はじめ(第1話)から読んで書くというのを繰り返した。
ぼくは芝居よりテレビが合っていると思った。テレビは普通の人が見る。
自分は、普通の家に生まれ普通に育った普通の人だから、目線はテレビと同じ。
チャンスがやってきた。ピンチヒッターを5,6年やって、『HERO』を頼まれた。2話から書き、メインライターになった。
ここまでで大事なことは、夢を叶えたのではないことだ。好きな仕事ではない。
脚本を書くのはとても苦しい。一番苦しい作業を仕事にしたということだ。
「夢を追う」というが、ぼくは苦い気持ちになる。
「そんなにうまくいくか」と思ってしまう。夢を追うのは、リスクがあるのだ。
芝居に夢を持っていた仲間のほとんどは、うまくいっていない。
自分の周りには、自分を生かし、お金になり、社会の役に立つものに出会ってきた。
脚本家が最後のチャンスだった。
ぼくには才能はない。
「自分が嫌いくらいでちょうどいい。」と、タイムマシンで過去の自分に戻っていってやりたい。
脚本を書くというのは、その時その時にもがき苦しんだ。死ぬかと思った時もある。
「海猿」の話が来たときに、「海上保安官?おもしろいわけがない。」と思った。
だから、どうしたらおもしろくなるかと考える。
ガリレオもそう。日本版ERも。どうしたらおもしろくなるか?
そこで何とかなったら自信になる。
そんなときにNHKから大河ドラマの話が来た。48話だ。びっくりした。
とても無理だ、第一、ぼくは大河ドラマをこれまでに見たことがない。
「大河ドラマを見たことがないぼくでもいいでしょうか?」といったら、さすがにギョッ!とされた。
でも、プロデューサーは、「新しいドラマをつくってほしい」といわれた。
ぼくは「エンタテイメントをやりたい」といったら、「いいですよ」といわれた。
そして、「描いてみたい人、この中にいる?」と、ずらりと20人ぐらいの名前が並んでいた。
「一人もいません」と答えた。
「卑弥呼」「聖徳太子」あとは知らない人ばかり。せいぜい「平清盛」
「これらの人は、これまでに扱ったことのない人です。」といわれた。要するに、残り物なのだ。
「無名でもいいのです。直江兼続知っていました? 篤姫は?」といわれた。
「幕末ものはダメです。坂の上の雲を3年がかりでやるから。、戦国もダメ。続いたから。」
となると「清盛」だが、イメージがわかない。おもしろいとは思えない。
(今年の大河の「江」、そして来年予定の「清盛」。あのリストを見せられたんだ・・・・)
ところが「坂本龍馬は?現場がやりたいといえば通るかもしれない。」と提案された。
「エッ!坂本龍馬いいの?はやく言ってよ。」坂本龍馬といえば、歴史上のスター。人気ナンバーワンだ。
しかし、断られた。
明日に続きます。