あの大震災から8年たちました。
このブログでは、震災直後から、5月末尾まで、毎日、世界がどうあの震災を報道したかを記録してあります。
何かの資料になればと思っています。
ちょっといい話も記録してあります。再び紹介します。
※ 出典元は閉鎖されている場合もあります。
壊れたDS
当方宮城県民。
朝からスーパー並んでたんだが、私の前に母親と泣きべそかいた子供がいたんだ。
子供は大事そうに壊れたDS(画面の亀裂はもちろん色々飛び出してる)を持っていて、時折ボタンを押しては反応が無いことに落胆している様子。
母親との会話を聞くと、どうやらそのDSはサンタさんから貰ったらしい。
子供がすんごい悲しそうでさ、ゲームができないことよりサンタが怒ってないか気にしてた。
周りも私も何とも言えない気持ちになってたら、1人の中学生くらいの男の子が子供に近づいてった。
で、自分のDS渡したんだよその子。
しかも「サンタさんから頼まれた」とか言って壊れたDSと自分の交換してた。子供大喜び。母親は涙ぐみながら頭下げてた。
凄い嘘臭いけど本当の話。
電気ないし水ないし寒いし食料も充分じゃない。
けどだいぶ気持ちが明るくなったよ。
余談だが、この現場を見ていたらしいおばちゃん達、その中学生に自分達が買った食料分けてた。
私は彼にパワーを貰ったので、これを見たあなた達にもお裾分けしたい。
頑張ろうね。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801
妹のmixi日記に泣けた…『長男@小4が、自分の財布と貯金箱の中身全部募金したいと、号泣しながら差し出してきた。コロコロコミック買えなくてもいいから、日本まもりたいから!って』
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801
・子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた、ありがとうございます、という声が震えてました。
・募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。
母「貯めてたのに本当にいいの?」
子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」と言いお年玉袋から5000円を寄付。
母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」
男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。
・旦那さんが自衛官の友人より。
以前息子さんが「パパは戦争がお仕事?」と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。 今、息子さんは毎日TV画面に向かい 「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。「僕も自衛隊になる!」って。
出典 http://blog.goo.ne.jp/aboboa/e/3432bd34bc3adfd31c1d537ebb22beaa
千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、
横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ
出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html
ディズニーランドでの出来事
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
出典 http://esayyou.blog102.fc2.com/blog-entry-85.html
ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。
出典 http://ameblo.jp/mfc21167/entry-10829392212.html
日本大震災で被災したサッカーJ1仙台の育成組織に所属する藤沢恭史朗選手
同クラブによると、藤沢選手は東松島市の自宅付近で津波に遭遇。
流されないように耐えていたところで流されてきた母子を発見し、右腕で子ども、左腕で母親をつかみ、近くにあった軽トラックの屋根に上ったという。
その後、胸まで浸水してきたものの、子どもを 肩車し、左腕で母親をかかえたままの体勢で耐え、徐々に水かさが減ったため、無事に2人を避難所へ送り届けて自らも避難した。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に、守衛さんが、彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html
バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が
「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品してそのお金全部募金してた。
お友達も続々と募金しててすごい感動した。すごいよ
ロンドンにいる友達がお財布をなくした時に、お金をかしてくれた中国人の友達がお金は返さなくていいから日本の為に募金してって言ってくれました!!四川が地震の時に日本の救援隊が助けてくれたから恩返しがしたいって。感動!!!ありがとう。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801
気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく夫だった。涙があふれ出た。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
出典 夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
被災地から救出された80歳過ぎであろう男性。笑顔で「大丈夫!大丈夫!チリ津波も体験してるし、再建しましょう!」と。悲しみの声を聞き出そうと食い下がる記者に「そんなこと言っても仕方ないでしょ」と笑顔。隣にいたご婦人も「みっともない格好撮らないで」と。日本を築いてきた方達は凛々しい。
停電すると、それを直す人がいて、
断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起こると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧してるわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2
さらに http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2より引用します。
3月20日午後、100名以上の人々が四川省の赤十字会を訪れ、チャリティ募金に参加した。汶川で発生した「四川大地震」を経験した四川の人々は、他人事とは思えないと話す。四川赤十字会は震災の状況を把握し、日本の震災地区への義捐金募集をスタートさせ、国民からの寄付を募った。
高校生の賈明輝さんは「私たちはマグニチュード8の地震を経験している。日本とは一衣帯水の隣国でもあり、自分の身に起きたように感じて、何かしたいと思った」と話していた。「四川大地震」で家族を亡くした謝国泰さんは募金の情報を聞くと、20名あまりの医療関係者を連れてやってきた。「いくらでもいい、これは全て、私たちの病院に勤める400名以上の職員たちの気持ちだ。日本の人々が少しでも早く自分の家庭を取り戻せるよう、助けになれば良いと思う」と話した。
クロアチアの反政府デモ隊が、日本大使館前で停止し黙祷
クロアチアでは反政府活動が活発化しており、インターネットを通じて活動への参加が呼びかけられている。2月の後半から繰り返しデモが行われ、この日も5000人近くが横断幕を掲げ、太鼓を叩きながらシュプレヒコールを展開したのだ。
しかし、日の丸の掲げられた日本大使館前で、突然行進は停止。後続からは「なぜ、止まるんだ!」との声が上がったものの、参加者らはすぐに事態を把握し、大使館前にろうそくを灯して被災者に向けて黙祷を捧げた。
この様子は地元メディアが報じるとともに、Youtubeでも公開されている。ネットユーザーからは、「とても印象的な場面だ」、「感動的だ」と、評価する声が上がっている。
モンゴル在住の日本人です。モンゴル国税関全職員が今回の震災義援金のために、給料2日分を募金することをみんなで決定したんだそうです。これまで20年間の日本政府からの援助協力に対する恩返しであり、友情のあかしを示すのは今だ!モンゴル国は燃えてます
ただいま職場は停電中。皆、それぞれの立場で右往左往して黙々と対応してます。自分が今出来ることを一生懸命やっていると思う。命懸けて現場で頑張ってくれてる人達がいて、その家族がいて、そのずっと後方で守られてる私達にも頑張れることはある。
天皇皇后両陛下は16日、大きな被害を受けた岩手、宮城、福島、茨城、千葉の5県に見舞金を贈った。宮内庁によると「計画停電の困難を国民と分かち合いたい」と、住まいの皇居・御所で連日2時間電力を止めている。
さっきホームレス2人組が\100しかないけどって言って募金してた。
昨日の停電の時に慌ててコンビニに行ったら、みんな争うこともなく黙ってきちんとレジに並んで、小学生は真っ暗な店内に「お化け屋敷だーっ!」と笑顔ではしゃぎ、女子高生が携帯で老人の足下を照らし、店員さんが「頑張ってね」の声に涙しながら電卓でレジをしていて、ヒトって強いな、と実感した。
サンフランシスコから。本日学校にいったら、各国様々な人が『日本は大丈夫か?何かできることはないか?』と真っ先に僕に話しかけてくれ、涙が出ました。 世界中が日本を応援しています
毎朝行くスタバで5ドルだしたらお釣りに5ドル返ってきた。間違えてるよって指摘したら、いいの元気出して皆から、と。なんて優しいアメリカ人たち。そのラテはextremly hotだった。
今日、募金箱に金髪にピアスの若い兄ちゃんが万札数枚入れていた。そしてその友人に「ゲームなんていつでも買えるからな」と言っていたのが聞こえて私含め周りの人達も募金していた。人は見た目じゃないことを実感した。そんなお昼でした。 この話感動しました。
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」被災者で実践されていたこの国の東北関東地震被災者の方々を日本を誇りに思います、頑張ってください。
外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
いかがでしたか?
あの感動を思い起こします。
日本、そして日本人を見直す機会になればと思います。
このブログでは、震災直後から、5月末尾まで、毎日、世界がどうあの震災を報道したかを記録してあります。
何かの資料になればと思っています。
ちょっといい話も記録してあります。再び紹介します。
※ 出典元は閉鎖されている場合もあります。
壊れたDS
当方宮城県民。
朝からスーパー並んでたんだが、私の前に母親と泣きべそかいた子供がいたんだ。
子供は大事そうに壊れたDS(画面の亀裂はもちろん色々飛び出してる)を持っていて、時折ボタンを押しては反応が無いことに落胆している様子。
母親との会話を聞くと、どうやらそのDSはサンタさんから貰ったらしい。
子供がすんごい悲しそうでさ、ゲームができないことよりサンタが怒ってないか気にしてた。
周りも私も何とも言えない気持ちになってたら、1人の中学生くらいの男の子が子供に近づいてった。
で、自分のDS渡したんだよその子。
しかも「サンタさんから頼まれた」とか言って壊れたDSと自分の交換してた。子供大喜び。母親は涙ぐみながら頭下げてた。
凄い嘘臭いけど本当の話。
電気ないし水ないし寒いし食料も充分じゃない。
けどだいぶ気持ちが明るくなったよ。
余談だが、この現場を見ていたらしいおばちゃん達、その中学生に自分達が買った食料分けてた。
私は彼にパワーを貰ったので、これを見たあなた達にもお裾分けしたい。
頑張ろうね。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801
妹のmixi日記に泣けた…『長男@小4が、自分の財布と貯金箱の中身全部募金したいと、号泣しながら差し出してきた。コロコロコミック買えなくてもいいから、日本まもりたいから!って』
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801
・子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた、ありがとうございます、という声が震えてました。
・募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。
母「貯めてたのに本当にいいの?」
子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」と言いお年玉袋から5000円を寄付。
母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」
男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。
・旦那さんが自衛官の友人より。
以前息子さんが「パパは戦争がお仕事?」と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。 今、息子さんは毎日TV画面に向かい 「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。「僕も自衛隊になる!」って。
出典 http://blog.goo.ne.jp/aboboa/e/3432bd34bc3adfd31c1d537ebb22beaa
千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、
横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ
出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html
ディズニーランドでの出来事
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
出典 http://esayyou.blog102.fc2.com/blog-entry-85.html
ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。
出典 http://ameblo.jp/mfc21167/entry-10829392212.html
日本大震災で被災したサッカーJ1仙台の育成組織に所属する藤沢恭史朗選手
同クラブによると、藤沢選手は東松島市の自宅付近で津波に遭遇。
流されないように耐えていたところで流されてきた母子を発見し、右腕で子ども、左腕で母親をつかみ、近くにあった軽トラックの屋根に上ったという。
その後、胸まで浸水してきたものの、子どもを 肩車し、左腕で母親をかかえたままの体勢で耐え、徐々に水かさが減ったため、無事に2人を避難所へ送り届けて自らも避難した。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に、守衛さんが、彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html
バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が
「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品してそのお金全部募金してた。
お友達も続々と募金しててすごい感動した。すごいよ
ロンドンにいる友達がお財布をなくした時に、お金をかしてくれた中国人の友達がお金は返さなくていいから日本の為に募金してって言ってくれました!!四川が地震の時に日本の救援隊が助けてくれたから恩返しがしたいって。感動!!!ありがとう。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801
気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく夫だった。涙があふれ出た。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
出典 夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
被災地から救出された80歳過ぎであろう男性。笑顔で「大丈夫!大丈夫!チリ津波も体験してるし、再建しましょう!」と。悲しみの声を聞き出そうと食い下がる記者に「そんなこと言っても仕方ないでしょ」と笑顔。隣にいたご婦人も「みっともない格好撮らないで」と。日本を築いてきた方達は凛々しい。
停電すると、それを直す人がいて、
断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起こると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧してるわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2
さらに http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2より引用します。
3月20日午後、100名以上の人々が四川省の赤十字会を訪れ、チャリティ募金に参加した。汶川で発生した「四川大地震」を経験した四川の人々は、他人事とは思えないと話す。四川赤十字会は震災の状況を把握し、日本の震災地区への義捐金募集をスタートさせ、国民からの寄付を募った。
高校生の賈明輝さんは「私たちはマグニチュード8の地震を経験している。日本とは一衣帯水の隣国でもあり、自分の身に起きたように感じて、何かしたいと思った」と話していた。「四川大地震」で家族を亡くした謝国泰さんは募金の情報を聞くと、20名あまりの医療関係者を連れてやってきた。「いくらでもいい、これは全て、私たちの病院に勤める400名以上の職員たちの気持ちだ。日本の人々が少しでも早く自分の家庭を取り戻せるよう、助けになれば良いと思う」と話した。
クロアチアの反政府デモ隊が、日本大使館前で停止し黙祷
クロアチアでは反政府活動が活発化しており、インターネットを通じて活動への参加が呼びかけられている。2月の後半から繰り返しデモが行われ、この日も5000人近くが横断幕を掲げ、太鼓を叩きながらシュプレヒコールを展開したのだ。
しかし、日の丸の掲げられた日本大使館前で、突然行進は停止。後続からは「なぜ、止まるんだ!」との声が上がったものの、参加者らはすぐに事態を把握し、大使館前にろうそくを灯して被災者に向けて黙祷を捧げた。
この様子は地元メディアが報じるとともに、Youtubeでも公開されている。ネットユーザーからは、「とても印象的な場面だ」、「感動的だ」と、評価する声が上がっている。
モンゴル在住の日本人です。モンゴル国税関全職員が今回の震災義援金のために、給料2日分を募金することをみんなで決定したんだそうです。これまで20年間の日本政府からの援助協力に対する恩返しであり、友情のあかしを示すのは今だ!モンゴル国は燃えてます
ただいま職場は停電中。皆、それぞれの立場で右往左往して黙々と対応してます。自分が今出来ることを一生懸命やっていると思う。命懸けて現場で頑張ってくれてる人達がいて、その家族がいて、そのずっと後方で守られてる私達にも頑張れることはある。
天皇皇后両陛下は16日、大きな被害を受けた岩手、宮城、福島、茨城、千葉の5県に見舞金を贈った。宮内庁によると「計画停電の困難を国民と分かち合いたい」と、住まいの皇居・御所で連日2時間電力を止めている。
さっきホームレス2人組が\100しかないけどって言って募金してた。
昨日の停電の時に慌ててコンビニに行ったら、みんな争うこともなく黙ってきちんとレジに並んで、小学生は真っ暗な店内に「お化け屋敷だーっ!」と笑顔ではしゃぎ、女子高生が携帯で老人の足下を照らし、店員さんが「頑張ってね」の声に涙しながら電卓でレジをしていて、ヒトって強いな、と実感した。
サンフランシスコから。本日学校にいったら、各国様々な人が『日本は大丈夫か?何かできることはないか?』と真っ先に僕に話しかけてくれ、涙が出ました。 世界中が日本を応援しています
毎朝行くスタバで5ドルだしたらお釣りに5ドル返ってきた。間違えてるよって指摘したら、いいの元気出して皆から、と。なんて優しいアメリカ人たち。そのラテはextremly hotだった。
今日、募金箱に金髪にピアスの若い兄ちゃんが万札数枚入れていた。そしてその友人に「ゲームなんていつでも買えるからな」と言っていたのが聞こえて私含め周りの人達も募金していた。人は見た目じゃないことを実感した。そんなお昼でした。 この話感動しました。
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」被災者で実践されていたこの国の東北関東地震被災者の方々を日本を誇りに思います、頑張ってください。
外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
いかがでしたか?
あの感動を思い起こします。
日本、そして日本人を見直す機会になればと思います。