とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
動画の書き起こし版です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ショーペンハウアーは、世界とは意志と表象であると考えました。 我々が認識している表象の裏では、生への盲目的な意志が蠢いており それが客体化されることで様々な表象を認識しているのだと。 そして、その意志の性質は【なんの根拠も目的もなく、無際限なもの】であると。 その意志が複雑に絡み合った形で客体化されている人間は、 まさに生への盲目的な意志に満たされていると考えたんですね。 そのことから『人生は苦痛である』という結論が導き出されるのですが、 これは冷静に考えると誰でも思い当たる節がある結論かもしれません。 人間には根源的に生に対する盲目的な意志があるとすると、 努力によってそれを達成しようと行動します。 もしその意欲が満たされなければ、それは苦痛となって表れます。 また、仮にその意欲を充分に満たしたならば、 それ以上に意欲することが見つからなくなり、 今度は激しい退屈に苛まれるようになるのです。 そして、生きる意志を持っている人間にとって その意志に対してやることがないという退屈は 明らかに苦痛に感じるものなのです。 つまり人間は、生きたいという意志を満たせない苦痛と、 それを満たした退屈による苦痛を 振り子のように揺れ動く存在なのです。 満たされなくても苦痛。満たされても苦痛。 形は違えど、そんな経験をしたことがある方は多いと思います。 このことからショーペンハウアーは 『人生の一切は苦痛なのである』 と考えたのです。 仏教に少しでも触れたことがある方ならば、 この思想が仏教における『一切皆苦』と非常に近い考えであることに気づくと思います。 彼は、この前提のもと 「じゃあどのように生きることでその苦痛から開放されるのか?」 についても試行錯誤します。 まず、音楽や芸術はどうでしょうか? ショーペンハウアーは音楽や芸術にはイデアが宿ると考えていました。 プラトンは芸術はイデアを曲解して広める存在だとして否定的だったのですが ショーペンハウアーはそれなりに肯定的だったことが見て取れます。 芸術はイデアを直観できるものだから、それに触れている間は 確かに苦痛から逃れられるかもしれない。 しかし、それは一時的なものであり、根本の解決にはつながらない。 では、他者への共感はどうでしょうか? 他者も当然ながら人間ですから、生への意志による根源的な悩みを抱えています。 他者の内部に自分と同じ悩みを見出して共有することで、 それは愛につながると考えられます。 これ自体は非常に重要な考え方だと思います。 今日からでも実践できる行動ですね。 しかしながらだからといって私の今の苦痛を根本的に 消し去ってくれるものではありません。 このように様々な試行錯誤をした結果、ショーペンハウアーは 『禁欲』にこそ解決の糸口があると考えるのです。 ここでいう禁欲とは、性的な行動を慎むことや 節制をすることとは少し意味合いが違います。 禁じるべき欲は『生への盲目的な意志』が持つ欲求なのです。 先ほども述べた通り、人間は生への盲目的な意志によって、 生きることに対して逃れようのない欲求を持っています。 そしてその欲求が満たされなかったり、満たされて退屈が訪れることで 振り子運動が止まらないかのように、常に苦痛を感じる存在なのです。 であれば、その振り子運動が止まれば良い。 つまり、生への欲求を捨て去ってしまえば良い。 このような意味での『禁欲』です。 例えば、いろいろな宗教で『断食』というものが取り入れられています。 これは、単に苦しい思いをしているわけではなくて 『生きるために食べる』という当たり前のことを一瞬でも捨てることで 生への執着から逃れ、心の平静を得ようとする行動に他なりません。 苦行なども、本来はそのような目的がありました。 ショーペンハウアーはそのプロセスを西洋哲学的アプローチで達成しようとします。 つまり、『意志が欲望として盲目的に自分に作用している』と 【哲学的に理解すること】によって、 意志と、それと同時にその表象も消え去り、当然世界への執着もなくなり 苦痛から完全に脱却することができる。と考えたのです。 アプローチは若干違いますが、この考え方は 仏教でいうところの『諦念』と非常に近い考え方です。 また、般若心境などに見られる『色即是空、空即是色』の考えとは 「この世のあらゆるモノや現象は、実体がない」 「実体がないことが、この世のあらゆるモノや現象を形成している」 となり、まさにショーペンハウアーの思想と一致を見ることができるのです。 西洋哲学と東洋思想は、真逆と言って良いほどのプロセスを経て お互いに発展してきました。 (東洋思想の方を発展と言って良いのかは微妙ですが) しかし、その積み重ねの一点で、こうして明確な交わりが確認できることは ここまでこのチャンネルを追っていただいた方なら、 それなりの感動を覚えるのではないでしょうか。 逆に言えば、その思想に紀元前に至った釈迦がヤバイとも言えるのですけど。 とにかく、このようなショーペンハウアーの思想は 【ペシミズム(厭世主義)】と呼ばれ、 後に現れるニーチェや実存主義の哲学者に多大な影響を与えます。 特にニーチェはショーペンハウアーが否定した『生きる意志』を 肯定することでその哲学を発展させました。
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