今日、1月2日は新聞休刊日で昨日のコラムを紹介します。
・ 「ヤヌアリウス月のカレンダエの日」は古代ローマの元日だ。最初の日を意味するカレンダエはカレンダーの語源である。ヤヌアリウスは前と後ろを向いた二つの顔を持つ神ヤヌス(Janus)に由来し、1月を指す「ジャニュアリー(January)」の元になった
▲ヤヌスは門の守護神で時間を含めたあらゆる物事の始まりをつかさどる。伝承によると、第2代の王、ヌマが10カ月しかなかった暦を12カ月に改めてヤヌアリウスとフェブルアリウスを追加した。ヤヌスにささげる神殿も造ったという
▲神殿には特別な役割があり、「戦争の門」と呼ばれた。神殿の門が平和な時には閉められ、戦争が始まると開かれたからだ。秩序を確立したとされるヌマが統治した43年間は門が閉じられたままだったと伝わる
▲ウクライナでの戦争が続いたまま年が明けた。7日は正教会のクリスマスである。ロシアに停戦を迫り、「戦争の門」を閉じさせる方策を探っていくことが今年の国際政治の最大の課題だ
▲政府は安全保障環境の悪化を理由に反撃能力の保有に踏み切り、防衛費を大幅に増加させる。増税や国債を財源にするというが、戦後78年間「平和の門」を守ってきた意義を踏まえた議論が不可欠である
▲領土拡張を続けた古代ローマではヌマの時代を除き、ヤヌス神殿の門が開かれている時代が大半だったそうだ。それでも「ローマ建国史」をまとめたリウィウスは「確実な平和は期待されるだけの勝利にまさり、かつ安全である」と記している。
・ 人間性に根ざした作風で知られる石田波郷に、こんな秀句がある。「かすかにも胸いたみつつ去年今年」。俳人は戦後、肺の病が悪化し、長く伏せっていた。生命の危機は脱し、再起への希望が兆す。だが、胸のうずきは続くのであった。新しい年を迎えてもなお……。
▼彼の境涯を知る愛好家なら、病状の句と解釈するかもしれない。でも、頭を空白にして今、この短詩と向き合うと、別の感慨も生まれるのである。年をまたいでもなお、...
・ 初日の出を拝む前の薄暗い時刻、絵の具を水に溶いたような暗赤色が東天を染める。「初茜(あかね)」という。
▼曙光(しょこう)の前ぶれは、新年の季語として歳時記にある。〈予告なく来る幸ありや初茜〉貞弘衛(まもる)。やがて日輪が超える曙(あけぼの)の一線は、全ての人の前に引かれたスタートラインでもある。今年の干支「卯」は方角なら東、時刻なら明け方6時頃に当たる。幸せの予感を宿した卯の刻の初茜を眼福とし、令和5年を迎えた人もおられよう。
▼新型コロナウイルス禍は4年目を迎えた。流行し始めた頃の息苦しさに比べ、世の中は開放感を取り戻している。すれ違う人に理由もなく疑いの目を向けたのは昔、いまは誰とも隔意なく語り合える。流行は続いているが、「脱コロナ元年」へと意識を切り替えてもよい頃合いだろう。人間らしさをなくしかけた異常な日々に、私たちはよく耐えた。
・ 謹賀新年。えとにちなみ、うさぎにまつわる話を探したらロシア民話の絵本があった。『うさぎのいえ』(エフゲーニー・M・ラチョフ絵、牧野原羊子監訳)
▼うさぎは木の皮で造った家、きつねは氷の家に住んだが、春にきつねの家は解けた。困ったきつねはうさぎに「庭に入れて」と何度も頼み、入れてもらう。同じ調子で「玄関の階段まで入れて」「家の中に入れて」と頼んで順に歩を進め、ついにうさぎを外に追い出した
▼なんだかロシアのウクライナ侵攻のような。家が解け困ったわけでないが、二〇一四年以降のクリミア併合、ウクライナ東部の親ロ派武装勢力の蜂起、そして昨年二月の本格侵攻と事を進めた。一方のロシアも、冷戦終結後、西側の軍事同盟に旧東欧諸国を引き入れ、「隣家」のウクライナまで操らんとする欧米こそ狡猾(こうかつ)なきつねと思っているかもしれぬ
▼ウクライナは欧米から兵器を供与されるが、ロシアを追い出すのは容易でなさそう。ウクライナから日本への避難者二千人超も長期化を覚悟し、仕事を探す人が増えているという
▼絵本では涙を流すうさぎの援軍に犬などが順に登場するも苦戦。ある動物が鎌を持って現れ、局面は変わる。重要なのは、武器と友情か
▼前者はともかく、友として就職支援などやれることはあろう。うさぎのごとく家を追われた人々とともに迎えた、新たな年である。
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せめて、社説だけは、これまでどおり無料で読むことができることを願っています。