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風車の国 オランダ -4-

2009-12-21 06:04:31 | 社会科関連情報
昨日のJIN-仁-は感動的でしたね。
特に、咲に気を遣って去っていく野風には涙しました。

さらに、あの中途半端な終わり方は、続編か、または映画化か、
いずれにしろ、仁夫婦?と坂本龍馬の暗殺がテーマになりそうな予感がします。

さて、前回は、出島から西洋文明が日本に伝わったという話でした。
南方 仁の協力者、緒方洪庵も長崎で医学を学んでいます。

その出島には、「出島の三学者」と呼ばれる有名が学者がいました。
ケンペル、ツンベルク、シーボルトです。

この3名は、それぞれ17・18・19世紀の出島オランダ商館付医官として来日しました。
といっても3名ともオランダ人ではないことがおもしろいと思いませんか?

ともかくも、この3名が日本文化の発展に寄与し、日本文化を海外に紹介した功績はきわめて大きいといえます。

今日は、エンゲルベルト・ケンペルを紹介しましょう。



ドイツ出身のケンペルは1690年(元禄三年)から約二年間出島に滞在する間に、二度江戸参府を経験し、徳川綱吉にも謁見しました。綱吉には、ダンスや恋の歌を披露したと伝えられています。

日本では、江戸との往復の間も含めて、積極的に資料を収集しました。

死後、彼の遺稿は『日本誌』として英語、フランス語、オランダ語で出版されました。(ドイツ語がないのも不思議です。)

その中で次のように言っています。
「手先が器用で頭の働きがよい点で、日本人は他の諸国民より勝れている」
「破られることのない国内の平穏」に加え、富士山や大和撫子(やまとなでしこ)
の美しさに賛嘆を惜しみませんでした。
「世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない」
ともあります。
これらが、ヨーロッパに一定の日本人観を植え付けたことは間違いないでしょう。

その付録として収録された「鎖国論」は、自主独立という観点から鎖国に理解を示し、日本の鎖国政策を肯定したものとして有名です。
ケンペルの目には、日本は、「自給自足できる豊かな国」として映ったのです。

この発想は、当時のヨーロッパに大きな影響を与えました。

また「鎖国」という言葉は、この「鎖国論」を翻訳した志筑忠雄による言葉であることは知られています。

彼の著作の内容は、わが国の政治や宗教、江戸参府の様子、彼の描いた日本地図などです。
現在、『日本誌』は、早稲田大学に残っています。


『The history of Japan(日本誌)』 (早稲田大学図書館所蔵)

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