今日の午前中は、小牧中学校で第2回教師力アップセミナーでした。講師は、この春まで文部科学省初等中等教育局教科調査官だった、菅 正隆先生です。小学校英語活動を導入した人と言ってよいでしょう。
すべてを理解している人の話はたいへん明快です。そのことを実感しました。数回にわたって、その内容を報告します。
英語が日本に入ってきたのは、それほど前の事ではありません。私が生まれる100年ちょっと前の事です。ペーリーが2回目に日本へ来たときに、函館に水兵が上陸しました。そこでは、水兵と子どもを含む民衆とがふれ合った記録が残っています。はじめて民衆が英語に触れたときでした。
そもそも、日本にとっての外国語学は蘭学での「訳読」でした。西洋の知識は、オランダ語で入ってきたのです。それを、日本語に訳す「訳読」が語学なのです。「訳読」が語学の中心なのは世界中で日本だけだそうです。島国だからです。
欧米や韓国、中国は外国と陸続きです。そこでは、必然的に音声言語でのコミュニケーションが発生します。そのため、「話す・聞く」が外国語学の中心になりました。ここが、日本との大きな違いなのです。
「訳読」の流れが変わるきっかけが、昭和61年の臨教審答申でした。
「中高での英語教育は成果が出ていない」と結論づけました。そして、「英語教育の開始時期についても検討を進める」とされ、その後、約22年にもおよぶ様々な審議会や研究開発学校等での研究を経て導入されたのです。
その間の流れは2つありました。
一つは「国際理解」の流れ、もう一つが「コミュニケーション」の流れです。
コミュニケーションは、「話す・聞く」だけではありません。例えば、手紙を書くのもその一つです。今回は、英語をツールとしてコミュニケーションを図ろうというものなのです。
すべてを理解している人の話はたいへん明快です。そのことを実感しました。数回にわたって、その内容を報告します。
英語が日本に入ってきたのは、それほど前の事ではありません。私が生まれる100年ちょっと前の事です。ペーリーが2回目に日本へ来たときに、函館に水兵が上陸しました。そこでは、水兵と子どもを含む民衆とがふれ合った記録が残っています。はじめて民衆が英語に触れたときでした。
そもそも、日本にとっての外国語学は蘭学での「訳読」でした。西洋の知識は、オランダ語で入ってきたのです。それを、日本語に訳す「訳読」が語学なのです。「訳読」が語学の中心なのは世界中で日本だけだそうです。島国だからです。
欧米や韓国、中国は外国と陸続きです。そこでは、必然的に音声言語でのコミュニケーションが発生します。そのため、「話す・聞く」が外国語学の中心になりました。ここが、日本との大きな違いなのです。
「訳読」の流れが変わるきっかけが、昭和61年の臨教審答申でした。
「中高での英語教育は成果が出ていない」と結論づけました。そして、「英語教育の開始時期についても検討を進める」とされ、その後、約22年にもおよぶ様々な審議会や研究開発学校等での研究を経て導入されたのです。
その間の流れは2つありました。
一つは「国際理解」の流れ、もう一つが「コミュニケーション」の流れです。
コミュニケーションは、「話す・聞く」だけではありません。例えば、手紙を書くのもその一つです。今回は、英語をツールとしてコミュニケーションを図ろうというものなのです。