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「豊臣秀次切腹事件」には大きなウソがある!

2024-01-01 06:55:37 | 豊臣秀吉

「豊臣秀次切腹事件」には大きなウソがある!

歴史を動かした大事件、その謎解きに挑む

https://toyokeizai.net/articles/-/128078

歪められた秀次像

矢部健太郎・國學院大學教授は「秀吉に秀次を殺すつもりはなかった」という新たな解釈を提示する。

1、豊臣家の数少ない成人男子

2、「豊臣家第2代関白」という立場

関白秀次とは、「これからも日本を治めていく豊臣家」の象徴的存在であった。その秀次を秀吉が殺したとすれば、それは己が築いた豊臣家と豊臣政権の存続を危うくする愚行でしかない。(中略)秀吉の頭の中に、秀次を殺すという選択肢が浮かんだとは想定しがたいのである。

秀次切腹、4つの新解釈

秀吉が秀次を殺すつもりではなかったのならば、秀次切腹事件はあらゆる局面の見直しを迫られることになる。以下に、事件の重要なポイントを4つ挙げ、考察を加えていきたい。

文禄4年
7月 3日 石田三成らが聚楽第にて秀次を詰問 …… ①
7月 8日 秀次が高野山に向かう       …… ①
7月 12日 「秀次高野住山」令が出される     …… ②
7月 13日 「秀次切腹命令」が出される      …… ②
7月 15日 秀次が切腹            …… ③
8月 2日 秀次の一族を処刑         …… ④
 
① 秀次は高野山へ追放されたのか?  秀吉の命令ではなく、秀次の自発的な行動であった。
②切腹命令の有無            

「秀次高野住山」令の主な内容は、

・秀次のために料理人や身の回りの世話をする者の人数を定めていること
・秀次はじめ近侍の者が刀や脇差を持つことを禁じていること
・秀次が勝手に下山しないよう、また見舞いの者が来ないよう警備を固めるよう指示していること
 
7月12日の時点で、秀吉に秀次を切腹させる意思はなかった、むしろ秀次の自決を防ごうとさえしていたのだ。
「高野住山」令にはいくつかの写しが残され、秀吉や秀次存命時の文書であること、それが高野山頂に到着していたことが確認できる。
 
「秀次切腹命令」は写しは確認されず、『甫庵太閤記』に記されているのみである。
 
 
③秀次切腹の真意

禁中に仕える女性たちが記した輪番日記『御湯殿上日記』には、秀次切腹の翌7月16日条にこのように記している。

くわんはくとのきのふ十五日のよつ時に御はらきらせられ候よし申、むしちゆへ、かくの事候のよし申なり、

秀次は、己の身の潔白を証明する「究極の請願」のために切腹したという解釈も、十分成り立つ余地があるのである。

④一族処刑の真相

事件を「秀次の謀反」というストーリーで一貫させるために、福島らを加増し、秀次の関係者や一族を処罰したのである。

 

 


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