日中関係が怪しくなっています。
しかし、日本は古代から中国文化を吸収してきました。
そして、つい最近まで、中国は日本のODAを生かして、成長してきました。
少し古くなってしまいましたが、ODA視察団として、平成17年に私が見た中国の生の姿を紹介するシリーズを、週1回ほどのペースでアップします。
中国の理解につながればと思います。
私が見た中国(1)-温県趙堡鎮中学校
まずは場所をはっきりしておきましょう。
中華人民共和国 河南省
黄河の南にあり、人口約1億人。
中国7大古都のうち、殷の都安陽、東周から長く都が置かれた洛陽、宋の都開封の3大古都を有します。
そのなかにある焦作市です。
人口370万人。かなり大きな市です。
またその中の温県(人口41万人)趙堡鎮(人口4万人)の趙堡鎮中学校を訪問しました。
この中学校は、1996年の黄河の大洪水により大きな被害を受け、1000名にのぼる学生が授業を受けることが出来なくなりました。
そこでこの教室棟再建費用の約半分を、日本が無償資金協力したものです。
その費用は、約1千万円。
草の根無償援助は1千万円が限度なのです。
門はとても立派でした。
2時に学校へ到着。
日曜日にもかかわらず、門の両側に生徒が分かれて、拍手と笑顔で出迎えてくれました。
後でわかったことですが、家に電話があるなど、声をかけやすい子が集められたようです。ということは、家に電話がない子が多いということかもしれません。
敷地に入ると、6年前に日本の資金援助で建てたらしい校舎が見あたりません。
いや、あるにはあるのだが、どう見ても築20年。
窓枠はさび付き、所々ガラスはなく、案内された部屋も6つある蛍光灯のうち、点灯したのは2つのみでした。
しかし、これがその無償資金援助で建てられた校舎だったのです。
大洪水で破壊された校舎がまだ残っていました。
教室には、生活の決まりのようなものが貼ってありました。
机もひどく、日本の常識から見ると学習環境としてはかなり劣悪です。机には、日本のアニメのシールなどが貼られている机もありました。
周囲には、毛沢東やマルクスなどの肖像が飾られ、格言が書かれていました。
こうした教室が各階8、計24ありました。日本のように特別教室はありません。
生徒数が増えれば一教室あたりの人数が増えるだけです。したがって、現在は1クラス60~65名。多すぎますが、物理的に仕方がありません。日本のように40人学級などといっていられないのです。
運動場には、バスケットゴールがありましたが、かなり荒れていました。
トイレは運動場横に一つあるだけらしい。そのトイレは大小兼用で扉・壁はありません。
こちらは男子用。
左側に小用が見えます。
こちらが女子用です。
日本の子どもたちは使えるでしょうか?
トイレの間にはゴミも・・・。
教職員は65名。これには、修繕や植物の世話をする人も含まれています。
教職員のほとんどは敷地内にあるこの建物に家族ぐるみで寄宿しており、職員室兼住居です。
家族がこちらを見ていました。
守衛もいました。
部屋は、気を遣ってか、黒板に「中日人民世代友好」と書かれていました。
新品のテーブルクロスが敷かれ、桃が準備され、手洗いの桶と石鹸が置かれるなど、で
きる限りの歓待をしていただきました。
学校紹介の後、双方が自己紹介しました。
子ども達の表情はやや固いのですが、いきなり外国人が来たのだから無理もないでしょう。
子ども達は、7:40~17:00の間、午前は4時間、午後3時間学習します。
昼食は、多くは家に戻って食べるそうです。
最も家が遠い子は6㎞。通えない距離ではありませんが・・・。
教員の人事権は温県にあり、趙堡鎮の中(4校)で異動するそうです。
説明の後で、施設見学休憩をとりました。
ところどころでメンバーと子ども達の交流の輪ができています。
笑い声が響き、とてもよい雰囲気です。得意技の太極拳を披露する子、漫才でうけているコンビもいます。
その光景を眺めている参加者の表情も満足そうです。
省の係の人もその様子を見ています。
質疑応答が再開しました。
先ほどとはうって変わって柔らかい表情です。
「100万円あったら何をしたい?」という質問には、「希望学校」「立派な学校」「道路」「身障者の学校」を造るといった模範的な意見や、「半分は自分がもらう」「海外旅行」といった子どもらしい意見も出ました。
「行きたい国は?」と言う質問には、「援助してくれた日本へ行きたい」という意見を始め日本が最も多く、イギリスやフランスが続きました。
「将来の夢は?」に対しては、科学者、企業家、教師、映画俳優、農業科学者、音楽家、調理師などがあり、中には解放軍の兵士と答えた子もいました。
教師集団も前向きで、「日本は能力を伸ばそうとしているが、中国では知識偏重だ。日本から学びたい。」という、素直な意見を聞くことができました。
歓迎の看板、記念の石碑など、日本への感謝の気持ちがよく表れていました。
感じたことは次の3点です。
1 想像以上の貧しさ
ここに集まった20名の子は、電話があるなど連絡の取りやすい子です。
挨拶の様子を見ていると、優秀な子ども達であるに違いないのですが、インターネット経験はゼロで、ネット環境にないことがわかします。
ドラえもんを全員が知っているところを見ると、テレビは普及しているのでしょう。
学校の備品は全くありません。
それにしても、省都からわずか90キロメートルでこの学習環境だと、もっと離れた地域はどうなるのでしょうか。
2 みすぼらしい校舎
とても6年前に完成したと思えない校舎でした。
洪水後の緊急の救済のため、建築資材は廃材を使ったのでしょうが、素人目から見ても造りも雑です。
中国の建築基準には適合しているらしいのですが、本来ならばもう少し費用をかけたかったことでしょう。
また、使い方にも問題が見受けられました。
3 子ども達の目
子ども達の輝く目には感動しました。
特に後半の質疑応答では、どの子の目も輝いて見えました。
将来の夢について誰もが自信をもって語り、学習意欲にあふれ、高い地域への貢献意欲を見せていました。
日本ではどうでしょう。はるかに豊かで、恵まれた学習環境の中で学ぶ日本の子ども達に、これだけの夢が語れるのでしょうか。輝く瞳を持っているのでしょうか。
教育に携わるものとして、考えさせられました。
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