ものづくり中部の革新者たちⅢ より 井元為三郎を紹介します。
去る2022(令和4)年9月10日(土)に名古屋都市センター(金山南ビル内) 11階「まちづくり広場・企画展示コーナー」で行われた、第17回パネル展 での学びを振り返ります。
ここから http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn.html
今回は、井元為三郎 幸福は我が心にあり -世界に羽ばたいた名古屋輸出陶磁器商の第一人者一
井元為三郎(1874 1945)
1. 革新実業家 (14)
幸福は我が心にあり-世界に羽ばたいた名古屋輸出陶磁器商の第一人者一
戦前、 陶磁器はわが国の最大の輸出品であった。 日本の陶磁器輸出は名古屋が中心地であった。 瀬戸や多治見方面から集められた生地を主税町界隈で絵付
けされ、名古屋港から輸出された。 陶磁器輸出の黄金時代に活躍したのが、 井元為三郎 (1874~1945) であった。
■井元商店の設立
井元は、 1874(明治7)年4月、 熱田中瀬町に生まれた。 1891 (明治24)年、 16歳の時陶磁器輸出商の田代商店に入り、 神戸支店長になったが、 1897 (明治30) 年、24歳で市内飯田町に井元商店(現井元産業)として独立した。 当初瀬戸の生地を仕入れ、 絵付け業者に絵付けを依頼し、 輸出業者に販売したが、 中央線が多治見まで開通後は仕入れ先を多治見に拡大し、 1907(明治40)年、名古屋港の港後は輸出に力を入れるようになる。
1909(明治42)年9月にサンフランシスコに日本トレーディング商会を設立、 1920(大正9)年にはシンガポールに南洋商行を設立し業績を伸ばした。 シンガポールでの陶磁器雑貨の売上げは、 三井物、 三菱商事を凌いだ。 その後も販売拠点をメルボルン、ラングーン、ジャワ等に拡大した。 1934(昭和9)年には北区指金町に電気トンネル窯を備えた工場も建設した。
■ 陶磁器業界での活躍
井元は1909(明治42)年、 名古屋陶磁器貿易商工同業組合設立に関わり、 1924(大正13)年には第4代組長となり、 業界の第一人者となった。 1930(昭和5)年、 陶工同盟休業問題の解決、 組合事務所 (名古屋陶磁器会館) の建設、 金液関税撤廃の実現など業界の取り纏め役として活躍し、 1934(昭和9)年12月には、 産業功労賞を受賞している。
景全.所務事合租業同工商易贸器磁陶星古名名古屋市東区に現存する名古屋陶磁器会館は、名古屋陶磁器業の拠点としてだけでなく、 全国陶磁器界の中枢機能を果たした。 1941(昭和16)年には、古希を祝って井元の寿像が会館内に設置された。 寿像は、 戦時中の金属供出で失われたが、 戦後に再建された。
井元は「幸福は我が心にあり」をモットーとし、進取の気象に富み、 温厚篤実、 業界のまとめ役として難題の解決に取り組んだ。
井元の居宅は、 2007 (平成19)年に名古屋市に所有権が移り、現在「文化の道 撞木館」として、 市民に開放されている。
(浅野 伸一 )
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