えっ! これが京都? 織田信長も見た戦国時代の京都の町【CGで再現】中編 下京編 1570年頃の京都は想像と全く違う、意外な姿だった!
この動画は戦国時代、1570年頃のの京都の下京の街並みを3DCGで紹介した動画です。前回は、戦国時代、1570年頃の京都の町第一弾として、上京の様子を紹介しましたが、今回は下京の様子を紹介します。 前回お伝えしたように、上京は内裏や公家・武士の邸宅およびそれに関連する商人を中心に町が形成されていたのに対して、下京は応仁の乱以前から商人達を中心に町が形成され、総構えの内外に上京以上に多数の寺院が存在していました。また、上京と下京の間には二条城がありました。二条城は、1570年に織田信長が15代将軍足利義昭のために築城したもので、二重の堀で囲まれており、石垣と3重の天主を持つ、当時としては画期的な城でした。下京総構えの南西に広大な寺地を構えているのが法華宗の本国寺です。天文法華の乱後に再興されますが、乱を経験して堀や土手を巡らせて要塞化し、最盛期には百以上の塔頭が建ち並び、数千の信者が住む寺内町が形成されていたと言われています。 上京と下京は、何度も火災にあっています。上京は1467年からの応仁の乱と1573年の信長による上京焼き討ちによって、下京は1494年の大火と1536年の天文法華の乱によって特に大きな被害を出しました。しかし、両方が一度にそのほとんどを焼失してしまうことはなかったようで、互いに復興を助け合っていたようです。 【関連サイト】 ものすごい図鑑 洛中洛外図 上杉本 https://www.nhk.or.jp/school/bunkazai...