苗木城跡 /岐阜の旅ガイドより
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位置を確かめてみましょう。
東に恵那山。その北東に、岐阜-長野を結ぶ恵那山トンネルがあります。
その北西10kmほどに、中津川の街、さらに北西が苗木城です。
西に恵那、南に、あの岩村城があります。
中央本線を間に、岩村城と苗木城は相対しているのです。さらに西には明智と、遠山氏の城がつながります。
そしてその西には土岐。土岐市の本拠地です。
大永6年(1526)この地へ移り住んだ遠山氏によって築城。
Wikipediaより紹介します。
岩村城を本拠地として美濃東部で遠山七頭(七遠山)が繁栄。土岐氏と並ぶ美濃の名族として、室町時代には、将軍家奉公衆となる者が出た[1]。
宗家の岩村遠山氏は戦国時代末期に織田氏と武田氏の争いに巻き込まれて滅亡したが、徳川氏の麾下に入った明知遠山氏・串原遠山氏・苗木遠山氏は関ケ原の戦いにおいて東軍に加わり、前哨戦の東濃の戦いにおいて戦功を挙げた。その結果江戸幕府成立後には、
明知遠山氏は、遠山利景が6,500石の交代寄合(後に旗本)となり明知陣屋を本拠地として明治の版籍奉還に至った。
串原遠山氏は、遠山経景が明知遠山氏の家老となり500石で版籍奉還まで続いた。
苗木遠山氏は、飯羽間遠山氏から養子に入った遠山友政が苗木藩1万500石の外様大名となり[1]、明治維新後には華族となり、廃藩置県後には子爵家に列した。
まずは位置を押さえましょう。