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今回紹介するゼノンが生まれた150年後にもう一人の偉大なゼノンが生まれるため エレア生まれのゼノンは『エレアのゼノン』と呼ばれています。 エレアのゼノンはテレウタゴラスの子として生まれますが、 その後、パルメニデスの養子になりそこで哲学について学びます。 まさにサラブレットです。 一説ではパルメニデスと愛人関係であったとも言われています。 養子を愛人にするとはやることがいちいち気品に溢れていますが 兎にも角にも、こうした教育を受けたゼノンはパルメニデス同様 論理的に物事を捉える能力に特化するのでした。 そして、師であり親であるパルニメデスの考え 『ト・エオン』 について更に確固たるものにしようと強烈にサポートします。 パルメニデスは世界の根源を突き止めるためには 感覚で物事を捉えることをせず、 知性と論理で探究を進めることが需要だと説きました。 『あるもの』 すなわち存在そのものについて探究することが 哲学が歩むべき唯一の道だと言ったのです。 ゼノンはこの『あるもの』について 更に論理的に掘り下げて、結果的に哲学により 論理と知性を導入します。 そんな論理展開の中でゼノンが利用したのが 『背理法』『パラドクス』『弁証法』 などです。 かのアリストテレスは 後にヘーゲルによって完成される弁証法を 初めて発明したのはゼノンだと言っています。 これらの論理展開を利用し、 パルメニデス以前の哲学者が説いた考えが いかに間違っているかを提示していきます。 まず『存在の多数性論駁』です。 パルメニデスは存在はただあるものがあるのみだと説きました。 つまり存在は1であると。 しかしそれまでの哲学者は存在は多数に分かれていて それらが変化することで世界が形作られていると考えました。 ここでゼノンは背理法でもって『ただあるもの』を証明します。 背理法とは、命題の正反対の命題を真と仮定して そこに矛盾を見つけることで元の命題を真と証明する方法です。 今回の場合、ゼノンが証明したいのは存在が1である。(分割できない) ということですね。 ですから、まずは存在が複数ある。という命題を真として その論理を破綻させようと思考します。 仮に存在が多から成るとしましょう。 まず第一に存在はある時点において有限の数であると考えられます。 そもそも存在が無限にあるということ自体想像できないですからね。 地球には到底数え切れないほどの砂がありますが、 どれだけ多いと言っても必ず有限の数なのは当たり前です。 その上で存在同士の関係を考えてみましょう。 存在が複数あるということは、 両者の間に存在同士を分け隔てる何かがあるはずです。 仮にその分け隔てるものが非存在であれば 両者の間には何もないことになり、 それらの存在は分け隔てられてはおらず、ひと続きになってしまいます つまり存在が2つあれば必ずその間には最低1つの存在があるのです。 するとおかしなことが起こります。 2つの存在とそれを分け隔てる1つの存在。 合計3つの存在の間には何があるでしょうか。 当然非存在ではなく存在があります。 つまり、3つの存在の間にはそれぞれ1つの存在が必要で 合計で5つの存在があることが確定します。 このように考えていくと、存在は無限に分割されてしまうことになります。 ある時点では有限の数なはずなのに、 論理的に考えると無限だということになる。 有限かつ無限という矛盾が発生してしまうので 『存在は多』という考えが破綻してしまいました。 つまり逆の命題である『存在は一』が証明されるのです。 更にゼノンは変化と運動についてもパルメニデスの考えを証明しようとしました。 パルメニデスは存在は変化も運動もしないと言いましたが、 これは果たして本当なのでしょうか? ゼノンはこれをパラドクスを使って証明しようと試みます。 パラドクスとは事実に反するはずの結論が、 論理的に推論することで正しく見えてしまうことによって 常識的な理解を覆す方法です。 有名な『アキレスと亀』というパラドクスがあります。 ギリシア神話の俊足の英雄であるアキレスと 鈍足の亀がかけっこをすることになりました。 亀は遅いのでハンデとしてアキレスの少し前から スタートすることを許されます。 かけっこが始まります。 アキレスはまず、スタート時に亀がいた地点まで到達しないと その先にいる亀に追いつけるはずがありません。 アキレスが亀のスタート地点に到達したときには 亀はそれより少し前にいますよね。 つまり次にアキレスは今亀がいる地点まで到達しないと その先にいる亀に追いつくことができません。 更に亀のいた地点に到達したときには亀は更に前にいて・・・ と、これが理論上延々と続くことになります。 つまり、アキレスが現在の亀がいる地点を目標に走っていくと その位置に到達したとき、アキレスよりも亀はほんの少し前にいるので この作業が無限に続いていってしまうのです。 作業が無限に続くということは無限の時間が必要なので アキレスは亀に追いつくことができないのです。 混乱してしまいますよね。 パッと聞いた感じだと確かにと思ってしまいます。 しかし、これは有限の中の無限を取り扱っているため 厳密には正しい論理ではないのですが、 確かに筋は通っているように見えるのです。 有限の中の無限についてはいずれ違う動画で解説します。 当たり前ですが、アキレスは普通に亀に追いつきます。 しかし、現実の世界で当たり前に起こる事象が、 論理的に分析することでここまで見え方が変わるのには 素直に驚きを感じますよね。 ゼノンはこのように、様々な論理的解釈を発表し、 『ただあるもの』を肯定しようとしました。 そしてその結果、古代ギリシア哲学にそれまで以上に 知性と論理を注入することに成功するのです。 ゼノンはその後、政治活動家として活動中に命を落とすことになりますが まるで論理的ではない人間の営みをどのように捉えていたのでしょうか。 そして今の世の中をどうみているのでしょうか。