FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊へ

交友関係の広さ狭さ

2017-03-11 18:42:14 | 日記
友達は沢山いる方だと思う、と思い込んでいた。思い込もうとしていた。

友達が多くいる人間は好かれている人間。認められた人間。一目置かれた人間。

そんなイメージがあった。

だから自分もそのカテゴリーに入れると思い込もうとした。

ケータイに沢山のアドレス。

ひと昔前なら、年賀状の枚数。

飲み会のお誘い。

そんなものが「尺度」になっていた。

今はそんな「呪縛」から解放されてとても楽チンだ。

「リア充」。

これは自分自身が本当に感じる充実感ではなく、他人から見て羨ましくなるほど華やかな充実した生活を

送っている様に見える状態という意味に思えてくる。


幸せの尺度は人それぞれ。

好みもそれぞれ。

好きな色も、好きな味も、得意不得意も…

学生時代に感じていた寂しさや欠乏感や恥ずかしさ等は幻影だなと今ハッキリ分かる。

級友でもなく親でもなく先生でもなく、自分はどうなの?どう思うの?どう感じているの?

これが出発点でないと迷宮入りして思春期をコジラセてしまう。

自分の内側から出さなければ意味がない「問いと答え」を他人の尺度で出そうとした間違い。

この間違いに気が付くまでに個人差がある。

自分も随分時間を無駄にした。いやそれも無駄ではないのか。

世界が狭いと生きにくい。

意識が狭さを感じたらキツイ。

だから宇宙は膨張し続けるんじゃないかと思うくらいだ。

学生時代の世界は本当に狭い。小さい。でも当初はそれが全てだった。

選択肢はありすぎるのもどうかと思うが少なすぎるのも厳しい。

でも本当は自分でリミットをかけていたということを今は強く後悔する。


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