親の言いなりになっていた。十代。
当たり前。
親無しでは食べていけなかったと思っていたから。
親無しでは生きていけないと勘違いしていたから。
だから自分の人生の決断を親に決めてもらったことはちゃんとツケが来ている。
虐待もされずに普通に育ててもらったことに感謝。
不自由なく大学も行かせてもらって贅沢させてもらったことにも感謝。
丈夫な体に生んでくれ育児放棄もせず成人させてくれたことにも感謝。
いろいろ恩はある。忘れない。
さあ自分ひとりでも生きていけることはとっくの昔に分かった。
普通に結婚して家庭も持った。手放した。
十代のころ冴えない高校生大学生時代に描いていた未来像とはかなり違った現実が
今ここにある。厳然とある。
メタボ気味ではあるが至って健康だ一応。
よくここにも書くが「決断」という言葉が好きでよく使う。
いや本当は「決断」なんて好きじゃないんだ。父親の口癖の影響なんだと思う。
自分の弱さもよく見えてくる五十代。
心底嫌いになるくらいの自分の弱さがよく見えてくる。
これも死ぬまで引き受けて生きてかなきゃいけないんだとまあ
覚悟しないと進めない。そんなことも分かってきた。
覚悟なんてほんと暗くて重くて大嫌いな言葉なんだけど。
やっぱり弱さも自身の一部なんだよな。
だから自分を否定しても始まらないんだよな。
弱さなんてものは、右利き左利きと同じくらいのレベルで思っていないと。
苦しくなってくる。なんでオレって右利きなんだよ!なんて。ヘンな苦しみ味わっても
間抜けだ。
弱さの克服。なんてインチキ自己啓発。
弱さの引受け。これしかないと思う。