著者マイケル・パンクはこの物語を描いている中でサバイバル術を自分で実験しているらしい。家族巻き込んで。
映画とはラストが全然違う。
最後がヒュー・グラスとフィッツジェラルドの法廷劇になるとは!
たしかに二人の壮絶な決闘劇だった映画の方がドラマチック。
でも各々の登場人物の背景が丁寧に描きこまれている小説は人間性を浮き上がらせている。
ヒュー・グラスはハンターなのだ。つまり猟師。
この物語に主となる男たちは皆トラッパー(罠師)なのだよ。
ガイド兼バッファローの罠猟師たちの食糧調達係りの猟銃の使い手グラスの物語なのだ。
復讐という怨念は人を力づける。
死んでもおかしくない健康状態なのに動物のエサになることなく原住民に殺されることなく見つかることなく生き続けることが
出来たのは「念」によるところが大きい。
憎しみと憎悪。
悪のパワーだ。
小説ではグラスがフィッツジェラルドを殺すことは出来ない。
映画も同じだった。トドメは自分の手で出来ないのだ。
復讐するは神にある。委ねるしかないのだ。
そのグラスもその後あっけなく原住民に殺されてしまうのだ。
ではあんなに命がけでサバイバルしたことは無意味だったの?いや違う!
どれだけ生きたかじゃない。
どんな生き方をしてこれたかなんだ。
生きた年数じゃない。
どれだけの密度があったかどうかなんだ。
生きながら死につづけたくない。
痛みを伴っても孤独でも憎悪でも怒りでも一瞬に生き抜いて散りたい。
日々平安で生きたくない。