捜査関係者によりますと、桐島聡容疑者(70)とみられる男は末期の胃がんを患い、今月中旬、「内田洋」の名前で神奈川県鎌倉市内にある病院に入院していましたが、きのう死亡しました。

その後の捜査関係者への取材で、男は入院先の病院で、警視庁公安部の事情聴取に対して「事件について後悔している」という趣旨の話をしていたことがわかりました。

さらに、は長期間の逃亡生活について「1人で逃亡していた」と明かしたということですが、警視庁は潜伏を支援する人が本当にいなかったかどうかなど実態解明を進めています。

桐島容疑者は1975年4月、東京・銀座の「韓国産業経済研究所」で起きた手製の時限爆弾による爆破事件で指名手配されていました。

過激派「東アジア反日武装戦線」

かつて日本には過激派が多くいました。

そして日本だけでなく海外でもテロを起こしていたので、

私の中では日本はテロの先進国というか輸出国だと思っていたほどです。

 

特にテロリストの代表と言える重信房子。

2年ほど前の出所後の集会に金平茂紀氏や青木理氏らは駆けつけたのには驚きました。

 

東アジア反日武装戦線が起こしたテロの代表は三菱重工爆破事件。

このリーダー格である大道寺将司の名前はよく聞きましたが、

その大道寺も7年前に病死しています。

連続企業爆破事件の大道寺将司死刑囚が病死 - 産経ニュース (sankei.com)

 

しかし桐島聡の名前がマスコミに出る事はほぼなかったような気がします。

それだけ世間は注目せず、そして桐島の役割もあまり大きくなかったのではと。

そう考えると、半世紀近く逃亡する必要があったのか。

名前を変え、身元がバレる銀行口座も保険証もなく、ひっそり生きてきた桐島。

半世紀に渡っての生活を見るともっと早く自首し、罪を償っていればと思います。

それが極刑であろうと無期であろうと、逃げ回り最期は癌で苦しむよりいくらかマシではと。

それがテロリストと成り下がった報いと言えば報いかもわかりませんが。

それに最後の最後に名乗り出ても親族からは煙たがられ遺骨の引き取りも拒否されているとか。

本当に判断を誤ったと思わずにはいられません。

 

そんな中、教研集会での発表が話題になっています。

 

やはり左翼の考えは同じなのか。

そこまで日本が憎いのか。 そこまで日本を貶めたいのかと。 

やはり最後に行き着くのは教育の影響力の大きさです。

昨今は日教組の加入率が激減したと言われていますが、半世紀前は殆どの教師が日教組に入っていました。

共産党支持だったり社会党支持だったり。

教師は左翼思想であり捏造歴史を自ら信じ、そしてそれを子らに教える。

生徒は真面目であればあるほど、教師の言う事を信じます。

すすから過激派に高学歴の人物が多かった事に頷けます。

彼ら過激派は自虐史観であり、中国や南北朝鮮、そしてアジアへの贖罪意識があったと思われます。

しかし今では慰安婦も徴用工も韓国主導の捏造だとわかっています。

それでも信じない左翼達。

繰り返しになりますが、教育は大事です。

それなのに愛国心を義務教育で教えているのか疑問ですし、

道徳観や倫理観を義務教育で教えているのかも疑わしいです。

 

現在はネットで様々な事を調べられます。

時には正確でなかったり、事実とかけ離れているかもわかりません。

しかし出典先を確認し、信じられるか否かを見極める事も大事です。

49年ぶりに名乗り出たテロリスト桐島聡の人生を考え、教育者の思想を考えてしまいます。

 

ところで数十年雇用していた建設会社。

以前は犯罪者はあいりん地区や釜ヶ崎に逃げ込むと聞いた事があります。

それだけ建設現場では身元を重要視しないという事なのでしょうが、

桐島を雇用していた建設会社社長や事務担当は銀行口座もない、健康保険証も作ろうとしない事をおかしいと思わなかったのか。

これだけで身元を隠蔽したいのが見え見えであり、それだけ犯罪者の臭いがするのに何十年も雇い続ける経営者が理解できません。

犯人隠匿罪に問われる可能性もありますし、それより何より社会人として通報義務をどう考えていたのかと。

 

参考:日本の過激派

★赤軍派(正式名:共産主義者同盟赤軍派)1969年結成。

 連合赤軍日本赤軍などの母体

 

★共産主義者同盟赤軍派

 ●1969年に大菩薩峠事件、1970年によど号ハイジャック事件を起こしている。

 

★日本赤軍 1971年5月30日[1]から2001年まで存在した日本の新左翼極左)系の国際武装組織、ゲリラ組織、テロ組織

1971年共産主義者同盟赤軍派重信房子京大パルチザン奥平剛士らがパレスチナパレスチナ解放人民戦線(PFLP)への国際義勇兵(アラブ赤軍)として結成し[2]1974年に公式に「 日本赤軍」と名乗り、1980年代にかけて多数の武装闘争事件日本赤軍事件を起こした

 

★連合赤軍

1971年から1972年にかけて活動した日本極左テロリスト組織、新左翼組織の1つ。 共産主義者同盟赤軍派京浜安保共闘革命左派が合流して結成

山岳ベース事件あさま山荘事件連合赤軍の起こした事件

 

★東アジア反日武装戦線

1970年代に爆弾テロを行ったテロ集団。

三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件等を実行

 ※金平氏が追悼した大道寺将司は三菱事件の犯人の一人。

一部は日本赤軍に合流

 

★今も7人が国際指名手配中です。 この中には大道寺将司の妻、大道寺あや子もいます。

国際手配中の日本赤軍 警視庁 (tokyo.lg.jp)