寺越事件と拉致認定(R4.10.6)
令和4年10月6日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第905号。
昨日に続いて寺越事件です。
今までも何度かお話ししてきていますが、この事件は様々なことを含んでいます。
今回はそのひとつ、拉致認定の問題をお話ししました。
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昨日のショートメッセージ「寺越事件ー失踪から家族再会までー(R4.10.5) - YouTube」の続きです。
寺越事件は当時13歳(1963年5月11日)の寺越武志さんが2人の叔父と出漁中に失踪した事件です。
13歳。。。叔父さん達と一緒だったとは言え、中学入学して間もなくでした。
※横田めぐみさんが拉致されたのも13歳の時(1977年11月15日)でした。
寺越事件は拉致事件の中でも特異な事件だったと言えそうです。
1987年1月に北朝鮮から手紙が届き、8月には武志さんの母、友枝さんは訪朝し武志さんと再会しています。
なぜ北朝鮮が母親との面会を許したのでしょう。
1987年。。。。
1987年11月29日には大韓航空機爆破事件が起こっています。
これは翌年9月のソウル五輪を阻止する為だったと言われていますが、
この事件と武志さんとの面会は関係あったのでしょうか。
ところで寺越友枝さんは度々訪朝し武志さんと面会しています。
更には驚いた事に、武志さんの父親は訪朝後北朝鮮に留まり、北朝鮮で亡くなっています。
拉致認定を拒否した友枝さん。
その気持ちは痛いほどわかります。
北朝鮮に拉致されたと認めると、同時に北朝鮮が犯人という事になります。
そうなれば武志さんと会えなくなりますし、武志さんも日本に来れなくなります。
ある程度自由に日本に帰って来れ、友枝さんも北朝鮮に行きたい。
その願いを叶えるには拉致を認める訳にはいかないでしょう。
拉致だと言ってしまえば、金輪際母子は面会すらできなくなります。
制約があるとはいえ、母子が日本で、そして北朝鮮で会うには拉致を認める訳にはいきません。
北朝鮮の非道さ、残酷さ、冷徹さ。。。。
民主主義国家の常識が通用しない国、北朝鮮。
自由がない国、北朝鮮。
四六時中監視され、いつ何時密告されるかと怯える生活。
そんな中でも親子の再開を望み、その為にはお互い嘘をつき、心無い人から誹謗される事もあったでしょう。
それでも会いたいのです。
生きている限り、息子に、そして孫にも会いたいのです。
そんな友枝さんの気持ちを考えると、拉致否定をするのは致し方ないと思います。
息子は北朝鮮に拉致された、と言ったら最後、息子に会えない。。。。
そんなお母さんの気持ちを考えると、お母さんを非難する気にはなれません。