人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

きょうの旅 ーー 妙心寺 大攝心(おおぜっしん) ーー

2016-06-06 20:06:25 | 日記

6月4日13時から6月5日昼まで京都にある妙心寺の「大攝心(おおぜっしん)」に参加しました。実は帰宅してはじめて「大攝心」の意味を調べるような不届き者で、一緒に参加された熱心な檀家の皆様には大変ご迷惑をお掛けしました。この「大攝心」に参加しようと思った理由は、一つは、妙心寺の法堂の雲龍図(狩野探幽作)の下で参禅できること。二つ目は、『臨済録』提唱を京都にいた時に毎月の座禅会でお世話になった霊雲院の則竹秀南老大師自ら行っていただけること。三つ目は、臨済禅の知識をもっと深めたいと考えたからです。

「大攝心」とは、禅を修行している僧にとっては非常に厳しい行の一つで、毎月1回、7日間禅堂に詰めて坐禅三昧の時間を集中的に過ごすことです。修行の座禅ですから、素人が参禅するのとは違い、両足を膝にのせる結跏趺坐で線香が燃え尽きるまで、約30分間ですが、それを連続して2時間づつ繰り返し坐禅をする修行です。半跏趺坐しかできない私ではその痛さは分かりませんが、気が遠くなるなるくらい厳しいもののようです。その中で「大悟」するのは至難で、夏目漱石でさえ修行途中で諦めました。

私たちが行った坐禅は1日目が夜10時まで1時間づつ3回、翌日は朝4時起床で5時から1時間半の坐禅で、実際の「大攝心」の真似事ですが、「二便往来(トイレ休憩)」という言葉や薬石や粥座の作法など修行の雰囲気を少しだけ感じることが出来ました。そして最後に名前の下に「〇〇〇〇居士」と書かれた修了証書をありがたくいただいて帰宅した訳です。「居士」という文字は位牌だけに使うものと思っていましたが、1日であっても修行を積んで「仏」になったということでしょうか。

ともかく5年前に京都に住み、妙心寺境内を通って通勤し、霊雲院で毎月の座禅会に参加し、「微笑会」の会員になったことで、檀家でもないのにこんな貴重な経験ができたのですから、「ご縁」の不思議さをつくづく感じた二日間でした。

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京都のお寺 「等持院」

2016-06-06 15:33:18 | 日記

京都のお寺 「等持院」

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きょうの旅 ーー 等持院 ーー

2016-06-06 13:32:11 | 日記

6月4日(土)。京都の等持院に行きました。等持院は嵐電の等持院駅から歩いて5分位の所にある足利将軍家歴代の菩提所で有名なお寺です。実は私はこの等持院から徒歩10分の所に昨年まで4年半ほど住んでいたのですが、今回が初めての拝観。鎌倉に戻って中世史の勉強をして、はじめてお寺の来歴を知った次第。情けなくなります。もったいないことをしました。

この等持院は暦応4(1341)年、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎えて創建したお寺。霊光殿には足利尊氏が念持仏として信仰した利運地蔵尊と足利歴代将軍像と徳川家康像が安置されています。どうして家康像が一緒に安置されているか不思議に思いましたが、寺の案内を見て納得。実は石清水八幡宮豊蔵坊にあった家康42歳の厄除け霊験を受けた像が廃仏毀釈の時にこの等持院に移された由。鎌倉の鶴岡八幡宮も同じですが、神仏習合の神宮寺は廃仏毀釈で大変な目にあったようです。そしてここにある十数体の将軍像は見応えがあり一度は見ておきたいものですが、三代足利義満公の像だけがほかの将軍像と違い、金閣寺を建て室町幕府絶頂期の将軍そのものといったお顔でした。

庭園は夢窓国師の作と伝えられています。方丈の北庭の苑池である「心字池」、書院から望む「芙蓉池」があり、この時期はサツキやショウブの花が咲いていましたが、秋になれば紅葉が美しく目を楽しませてくれると思います。また方丈北の中央には足利尊氏の墓である宝篋印塔がありました。台座の正面には足利尊氏の享年である延文三(1358)年四月の文字があるようです。鎌倉の覚園寺もそうですが、明治になり大塔宮護良親王を殺害した足利尊氏は逆賊となり、足利尊氏ゆかりの寺は排斥されたと思いますが、等持院はどうだったのでしょうか。

 

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