称名寺は横浜市金沢区にあります。京急線金沢文庫駅から歩いて10分位。鎌倉時代の四境の東端は六浦で港と塩田があり、鎌倉幕府にとっては重要な場所でした。創建は北条(金沢)実時(1224~1276)。北条義時の五男・北条実泰の子供で極楽寺の旦那である北条長時と業時とは従兄弟の関係になります。最初は実時の持仏堂で浄土宗のお寺でしたが、文永四(1267)年に極楽寺の忍性の奨めで妙性坊審海を開山として、真言律宗に改めました。奈良西大寺の叡尊を金沢の地に招くなど真言律宗との関係は深かったようです。その後、実時の子顕時(あきとき)の時代に七堂伽藍を備える大寺院に発展し、顕時の子貞顕(さだあき)のとき1320年に「浄土式庭園」が完成しました。今の形には復元されたのは1987年。30年前のことです。
称名寺から隧道をくぐって隣にある「金沢文庫」は実時が病没する直前の1275年に設けたもので、火事の多い鎌倉から別荘である金沢の地に避難させたことで大切な古文書が現存しています。ただ大半の文献は徳川家康により江戸城に持ち出されたようです。家康はこれらの貴重な文献を参考にして徳川幕府の体制づくりを計ったのでしょうか。興味深いですね。
また今年の3月に金沢文庫の『称名寺聖教』 4,149点と『金沢文庫文書』 13,027点が国宝の答申をうけました。金沢文庫の説明によりますと、これら答申を受けた資料は、鎌倉時代~南北朝時代を中心とする文献資料で、当時の政治、外交、宗教、文化を生き生きと伝え、その視野は日本という枠を超え、モンゴル帝国に席巻されつつあった東南アジア世界にまで広がっているようです。いまの人員では総てを整理するのに300年掛かるとのこと。北条氏が蒙古襲来に備え、どのように情報収集したか、是非とも知りたいところ。報告が待ち遠しいですね。
鎌倉の隣にこんなに素晴らしい文化財の宝庫があります。是非訪ねてみてはいかがですか。